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天文から文禄の間のあの乱世に生まれ合わせて、しかも延喜の世に住んでいた植通は、八十を過ぎた齢で、唐松の実生を植えていた。
<ruby>天文<rt>てんぶん</rt></ruby>から<ruby>文禄<rt>ぶんろく</rt></ruby>の<ruby>間<rt>あいだ</rt></ruby>のあの<ruby>乱世<rt>らんせ</rt></ruby>に<ruby>生<rt>う</rt></ruby>まれ<ruby>合<rt>あ</rt></ruby>わせて、しかも<ruby>延喜<rt>えんぎ</rt></ruby>の<ruby>世<rt>よ</rt></ruby>に<ruby>住<rt>す</rt></ruby>んでいた<ruby>植通<rt>たねみち</rt></ruby>は、八十を<ruby>過<rt>す</rt></ruby>ぎた<ruby>齢<rt>とし</rt></ruby>で、<ruby>唐松<rt>からまつ</rt></ruby>の<ruby>実生<rt>みばえ</rt></ruby>を<ruby>植<rt>う</rt></ruby>えていた。
てんぶんから ぶんろくの あいだの あの らんせに うまれあわせて、 しかも えんぎの よに すんで いた たねみちわ、 80を すぎた としで、 からまつの みばえを うえて いた。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
「ただ物を言うように公は答えた」「日のもとの歌には堕涙の音が聞える。
「ただ<ruby>物<rt>もの</rt></ruby>を<ruby>言<rt>い</rt></ruby>うように<ruby>公<rt>こう</rt></ruby>は<ruby>答<rt>こた</rt></ruby>えた」「<ruby>日<rt>ひ</rt></ruby>のもとの<ruby>歌<rt>うた</rt></ruby>には<ruby>堕涙<rt>だるい</rt></ruby>の<ruby>音<rt>おと</rt></ruby>が<ruby>聞<rt>きこ</rt></ruby>える。
「ただ ものを いうよーに こーわ こたえた」 「ひのもとの うたにわ だるいの おとが きこえる。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
飯綱修法成就の人もまた好いではないか」と露伴はいう。
<ruby>飯綱<rt>いづな</rt></ruby><ruby>修法<rt>しゅうほう</rt></ruby><ruby>成就<rt>じょうじゅ</rt></ruby>の<ruby>人<rt>ひと</rt></ruby>もまた<ruby>好<rt>よ</rt></ruby>いではないか」と<ruby>露伴<rt>ろはん</rt></ruby>はいう。
いづな しゅーほー じょーじゅの ひとも また よいでわ ないか」と ろはんわ いう。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
生と死とを美事に超越した露伴終焉の境地は、この植通の心境に通うところがあるように思われる。
<ruby>生<rt>せい</rt></ruby>と<ruby>死<rt>し</rt></ruby>とを<ruby>美事<rt>みごと</rt></ruby>に<ruby>超越<rt>ちょうえつ</rt></ruby>した<ruby>露伴<rt>ろはん</rt></ruby><ruby>終焉<rt>しゅうえん</rt></ruby>の<ruby>境地<rt>きょうち</rt></ruby>は、この<ruby>植通<rt>たねみち</rt></ruby>の<ruby>心境<rt>しんきょう</rt></ruby>に<ruby>通<rt>かよ</rt></ruby>うところがあるように<ruby>思<rt>おも</rt></ruby>われる。
せいと しとを みごとに ちょーえつ した ろはん しゅーえんの きょーちわ、 この たねみちの しんきょーに かよう ところが あるよーに おもわれる。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
神仙道を不老長寿の道と考えるのは、卑俗な心の人たちだけの話である。
<ruby>神仙道<rt>しんせんどう</rt></ruby>を<ruby>不老<rt>ふろう</rt></ruby><ruby>長寿<rt>ちょうじゅ</rt></ruby>の<ruby>道<rt>みち</rt></ruby>と<ruby>考<rt>かんが</rt></ruby>えるのは、<ruby>卑俗<rt>ひぞく</rt></ruby>な<ruby>心<rt>こころ</rt></ruby>の<ruby>人<rt>ひと</rt></ruby>たちだけの<ruby>話<rt>はなし</rt></ruby>である。
しんせんどーを ふろー ちょーじゅの みちと かんがえるのわ、 ひぞくな こころの ひとたちだけの はなしで ある。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
日本の飯綱の法も中国の丹道も、その真髄は、五慾を逸脱して生死一如の境地に入ることを目指している。
<ruby>日本<rt>にほん</rt></ruby>の<ruby>飯綱<rt>いづな</rt></ruby>の<ruby>法<rt>ほう</rt></ruby>も<ruby>中国<rt>ちゅうごく</rt></ruby>の<ruby>丹道<rt>たんどう</rt></ruby>も、その<ruby>真髄<rt>しんずい</rt></ruby>は、五<ruby>慾<rt>よく</rt></ruby>を<ruby>逸脱<rt>いつだつ</rt></ruby>して<ruby>生死<rt>せいし</rt></ruby><ruby>一如<rt>いちにょ</rt></ruby>の<ruby>境地<rt>きょうち</rt></ruby>に<ruby>入<rt>はい</rt></ruby>ることを<ruby>目指<rt>めざ</rt></ruby>している。
にほんの いづなの ほーも ちゅーごくの たんどーも、 その しんずいわ、 5よくを いつだつ して せいし いちにょの きょーちに はいる ことを めざして いる。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
狙いは内界にあって、外界にはない。
<ruby>狙<rt>ねら</rt></ruby>いは<ruby>内界<rt>ないかい</rt></ruby>にあって、<ruby>外界<rt>がいかい</rt></ruby>にはない。
ねらいわ ないかいに あって、 がいかいにわ ない。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
露伴先生が『仙書参同契』において、内丹の真髄を力説されているのも、この点である。
<ruby>露伴<rt>ろはん</rt></ruby><ruby>先生<rt>せんせい</rt></ruby>が『<ruby>仙書<rt>せんしょ</rt></ruby><ruby>参同契<rt>さんどうけい</rt></ruby>』において、<ruby>内丹<rt>ないたん</rt></ruby>の<ruby>真髄<rt>しんずい</rt></ruby>を<ruby>力説<rt>りきせつ</rt></ruby>されているのも、この<ruby>点<rt>てん</rt></ruby>である。
ろはん せんせいが 『せんしょ さんどーけい』に おいて、 ないたんの しんずいを りきせつ されて いるのも、 この てんで ある。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
しかし現代人がこういう説明に深入して一歩誤ると、浅薄な科学論即ち機械論に陥るおそれがある。
しかし<ruby>現代人<rt>げんだいじん</rt></ruby>がこういう<ruby>説明<rt>せつめい</rt></ruby>に<ruby>深入<rt>ふかいり</rt></ruby>して一<ruby>歩<rt>ぽ</rt></ruby><ruby>誤<rt>あやま</rt></ruby>ると、<ruby>浅薄<rt>せんぱく</rt></ruby>な<ruby>科学論<rt>かがくろん</rt></ruby><ruby>即<rt>すなわ</rt></ruby>ち<ruby>機械論<rt>きかいろん</rt></ruby>に<ruby>陥<rt>おちい</rt></ruby>るおそれがある。
しかし げんだいじんが こー いう せつめいに ふかいり して 1ぽ あやまると、 せんぱくな かがくろん すなわち きかいろんに おちいる おそれが ある。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
あらゆる奇験を単なる幻像としてしりぞけ、生命を顕微鏡下における原形質の生命だけに限る傾向に陥りやすい。
あらゆる<ruby>奇験<rt>きけん</rt></ruby>を<ruby>単<rt>たん</rt></ruby>なる<ruby>幻像<rt>げんぞう</rt></ruby>としてしりぞけ、<ruby>生命<rt>せいめい</rt></ruby>を<ruby>顕微鏡下<rt>けんびきょうか</rt></ruby>における<ruby>原形質<rt>げんけいしつ</rt></ruby>の<ruby>生命<rt>せいめい</rt></ruby>だけに<ruby>限<rt>かぎ</rt></ruby>る<ruby>傾向<rt>けいこう</rt></ruby>に<ruby>陥<rt>おちい</rt></ruby>りやすい。
あらゆる きけんを たんなる げんぞーと して しりぞけ、 せいめいを けんびきょーかに おける げんけいしつの せいめいだけに かぎる けいこーに おちいりやすい。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
神仙道修業の成就は、単なる自己催眠や、魔睡薬による幻想とは違うのではなかろうか。
<ruby>神仙道<rt>しんせんどう</rt></ruby><ruby>修業<rt>しゅぎょう</rt></ruby>の<ruby>成就<rt>じょうじゅ</rt></ruby>は、<ruby>単<rt>たん</rt></ruby>なる<ruby>自己<rt>じこ</rt></ruby><ruby>催眠<rt>さいみん</rt></ruby>や、<ruby>魔睡薬<rt>ますいやく</rt></ruby>による<ruby>幻想<rt>げんそう</rt></ruby>とは<ruby>違<rt>ちが</rt></ruby>うのではなかろうか。
しんせんどー しゅぎょーの じょーじゅわ、 たんなる じこ さいみんや、 ますいやくに よる げんそーとわ ちがうのでわ なかろーか。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
もちろん現在の科学は、その科学の範囲内では間違っていない。
もちろん<ruby>現在<rt>げんざい</rt></ruby>の<ruby>科学<rt>かがく</rt></ruby>は、その<ruby>科学<rt>かがく</rt></ruby>の<ruby>範囲内<rt>はんいない</rt></ruby>では<ruby>間違<rt>まちが</rt></ruby>っていない。
もちろん げんざいの かがくわ、 その かがくの はんいないでわ まちがって いない。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
従って心霊の現象を認めるとしても、幽霊写真とか、空中に物が浮かぶとかいうことは、あり得ない。
<ruby>従<rt>したが</rt></ruby>って<ruby>心霊<rt>しんれい</rt></ruby>の<ruby>現象<rt>げんしょう</rt></ruby>を<ruby>認<rt>みと</rt></ruby>めるとしても、<ruby>幽霊<rt>ゆうれい</rt></ruby><ruby>写真<rt>しゃしん</rt></ruby>とか、<ruby>空中<rt>くうちゅう</rt></ruby>に<ruby>物<rt>もの</rt></ruby>が<ruby>浮<rt>う</rt></ruby>かぶとかいうことは、あり<ruby>得<rt>え</rt></ruby>ない。
したがって しんれいの げんしょーを みとめると しても、 ゆーれい しゃしんとか、 くーちゅーに ものが うかぶとか いう ことわ、 ありえない。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
特に後者は絶対にあり得ない。
<ruby>特<rt>とく</rt></ruby>に<ruby>後者<rt>こうしゃ</rt></ruby>は<ruby>絶対<rt>ぜったい</rt></ruby>にあり<ruby>得<rt>え</rt></ruby>ない。
とくに こーしゃわ ぜったいに ありえない。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
写真にうつるということは、銀の粒子に化学変化を起さすような電磁波の存在を意味する。
<ruby>写真<rt>しゃしん</rt></ruby>にうつるということは、<ruby>銀<rt>ぎん</rt></ruby>の<ruby>粒子<rt>りゅうし</rt></ruby>に<ruby>化学<rt>かがく</rt></ruby><ruby>変化<rt>へんか</rt></ruby>を<ruby>起<rt>おこ</rt></ruby>さすような<ruby>電磁波<rt>でんじは</rt></ruby>の<ruby>存在<rt>そんざい</rt></ruby>を<ruby>意味<rt>いみ</rt></ruby>する。
しゃしんに うつると いう ことわ、 ぎんの りゅーしに かがく へんかを おこさすよーな でんじはの そんざいを いみ する。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
霊からそういう物質的な電磁波が出るとは考えられない。
<ruby>霊<rt>れい</rt></ruby>からそういう<ruby>物質的<rt>ぶっしつてき</rt></ruby>な<ruby>電磁波<rt>でんじは</rt></ruby>が<ruby>出<rt>で</rt></ruby>るとは<ruby>考<rt>かんが</rt></ruby>えられない。
れいから そー いう ぶっしつてきな でんじはが でるとわ かんがえられない。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
もっとも幽霊写真に近いものとしては、かつてミトゲン線と呼ばれる生物から発する放射線の存在が、一部の生物学者や物理学者の間に信ぜられた。
もっとも<ruby>幽霊<rt>ゆうれい</rt></ruby><ruby>写真<rt>しゃしん</rt></ruby>に<ruby>近<rt>ちか</rt></ruby>いものとしては、かつてミトゲン<ruby>線<rt>せん</rt></ruby>と<ruby>呼<rt>よ</rt></ruby>ばれる<ruby>生物<rt>せいぶつ</rt></ruby>から<ruby>発<rt>はっ</rt></ruby>する<ruby>放射線<rt>ほうしゃせん</rt></ruby>の<ruby>存在<rt>そんざい</rt></ruby>が、<ruby>一部<rt>いちぶ</rt></ruby>の<ruby>生物<rt>せいぶつ</rt></ruby><ruby>学者<rt>がくしゃ</rt></ruby>や<ruby>物理<rt>ぶつり</rt></ruby><ruby>学者<rt>がくしゃ</rt></ruby>の<ruby>間<rt>あいだ</rt></ruby>に<ruby>信<rt>しん</rt></ruby>ぜられた。
もっとも ゆーれい しゃしんに ちかい ものと してわ、 かつて みとげんせんと よばれる せいぶつから はっする ほーしゃせんの そんざいが、 いちぶの せいぶつ がくしゃや ぶつり がくしゃの あいだに しんぜられた。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
実験的研究も盛んになされ、百余の論文が出た。
<ruby>実験的<rt>じっけんてき</rt></ruby><ruby>研究<rt>けんきゅう</rt></ruby>も<ruby>盛<rt>さか</rt></ruby>んになされ、百<ruby>余<rt>よ</rt></ruby>の<ruby>論文<rt>ろんぶん</rt></ruby>が<ruby>出<rt>で</rt></ruby>た。
じっけんてき けんきゅーも さかんに なされ、 100よの ろんぶんが でた。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
半ばは肯定、半ばは否定であった。
<ruby>半<rt>なか</rt></ruby>ばは<ruby>肯定<rt>こうてい</rt></ruby>、<ruby>半<rt>なか</rt></ruby>ばは<ruby>否定<rt>ひてい</rt></ruby>であった。
なかばわ こーてい、 なかばわ ひていで あった。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
肯定した側には、ゲールラッハのようにノーベル賞を受けた物理学者もあった。
<ruby>肯定<rt>こうてい</rt></ruby>した<ruby>側<rt>かわ</rt></ruby>には、ゲールラッハのようにノーベル<ruby>賞<rt>しょう</rt></ruby>を<ruby>受<rt>う</rt></ruby>けた<ruby>物理<rt>ぶつり</rt></ruby><ruby>学者<rt>がくしゃ</rt></ruby>もあった。
こーてい した かわにわ、 げーるらっはのよーに のーべるしょーを うけた ぶつり がくしゃも あった。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
しかし現在では一般に否定に傾いている。
しかし<ruby>現在<rt>げんざい</rt></ruby>では<ruby>一般<rt>いっぱん</rt></ruby>に<ruby>否定<rt>ひてい</rt></ruby>に<ruby>傾<rt>かたむ</rt></ruby>いている。
しかし げんざいでわ いっぱんに ひていに かたむいて いる。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
もっとも将来生物線の存在が再び確認される日があっても、それは心霊現象とは近縁の如く見えて、実は本質的に異るものである。
もっとも<ruby>将来<rt>しょうらい</rt></ruby><ruby>生物線<rt>せいぶつせん</rt></ruby>の<ruby>存在<rt>そんざい</rt></ruby>が<ruby>再<rt>ふたた</rt></ruby>び<ruby>確認<rt>かくにん</rt></ruby>される<ruby>日<rt>ひ</rt></ruby>があっても、それは<ruby>心霊<rt>しんれい</rt></ruby><ruby>現象<rt>げんしょう</rt></ruby>とは<ruby>近縁<rt>きんえん</rt></ruby>の<ruby>如<rt>ごと</rt></ruby>く<ruby>見<rt>み</rt></ruby>えて、<ruby>実<rt>じつ</rt></ruby>は<ruby>本質的<rt>ほんしつてき</rt></ruby>に<ruby>異<rt>ことな</rt></ruby>るものである。
もっとも しょーらい せいぶつせんの そんざいが ふたたび かくにん される ひが あっても、 それわ しんれい げんしょーとわ きんえんのごとく みえて、 じつわ ほんしつてきに ことなる もので ある。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
空中に立つに到っては論外である。
<ruby>空中<rt>くうちゅう</rt></ruby>に<ruby>立<rt>た</rt></ruby>つに<ruby>到<rt>いた</rt></ruby>っては<ruby>論外<rt>ろんがい</rt></ruby>である。
くーちゅーに たつに いたってわ ろんがいで ある。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
それには重力を断ち切る必要がある。
それには<ruby>重力<rt>じゅうりょく</rt></ruby>を<ruby>断<rt>た</rt></ruby>ち<ruby>切<rt>き</rt></ruby>る<ruby>必要<rt>ひつよう</rt></ruby>がある。
それにわ じゅーりょくを たちきる ひつよーが ある。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
そういうことは力学の原理に反するので、それを否定することは科学的であり、科学を認めるならば、そういう現象を認めてはならない。
そういうことは<ruby>力学<rt>りきがく</rt></ruby>の<ruby>原理<rt>げんり</rt></ruby>に<ruby>反<rt>はん</rt></ruby>するので、それを<ruby>否定<rt>ひてい</rt></ruby>することは<ruby>科学的<rt>かがくてき</rt></ruby>であり、<ruby>科学<rt>かがく</rt></ruby>を<ruby>認<rt>みと</rt></ruby>めるならば、そういう<ruby>現象<rt>げんしょう</rt></ruby>を<ruby>認<rt>みと</rt></ruby>めてはならない。
そー いう ことわ りきがくの げんりに はんするので、 それを ひてい する ことわ かがくてきで あり、 かがくを みとめるならば、 そー いう げんしょーを みとめてわ ならない。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
しかし科学を認めることが、全心霊現象を否定することにはならない。
しかし<ruby>科学<rt>かがく</rt></ruby>を<ruby>認<rt>みと</rt></ruby>めることが、<ruby>全<rt>ぜん</rt></ruby><ruby>心霊<rt>しんれい</rt></ruby><ruby>現象<rt>げんしょう</rt></ruby>を<ruby>否定<rt>ひてい</rt></ruby>することにはならない。
しかし かがくを みとめる ことが、 ぜん しんれい げんしょーを ひてい する ことにわ ならない。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
科学の方法は、結局は分析にある。
<ruby>科学<rt>かがく</rt></ruby>の<ruby>方法<rt>ほうほう</rt></ruby>は、<ruby>結局<rt>けっきょく</rt></ruby>は<ruby>分析<rt>ぶんせき</rt></ruby>にある。
かがくの ほーほーわ、 けっきょくわ ぶんせきに ある。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
分析によって本態を喪失する現象があっても、少しも不思議ではない。
<ruby>分析<rt>ぶんせき</rt></ruby>によって<ruby>本態<rt>ほんたい</rt></ruby>を<ruby>喪失<rt>そうしつ</rt></ruby>する<ruby>現象<rt>げんしょう</rt></ruby>があっても、<ruby>少<rt>すこ</rt></ruby>しも<ruby>不思議<rt>ふしぎ</rt></ruby>ではない。
ぶんせきに よって ほんたいを そーしつ する げんしょーが あっても、 すこしも ふしぎでわ ない。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
それらは科学と矛盾するものではなく、科学と縁のないものなのである。
それらは<ruby>科学<rt>かがく</rt></ruby>と<ruby>矛盾<rt>むじゅん</rt></ruby>するものではなく、<ruby>科学<rt>かがく</rt></ruby>と<ruby>縁<rt>えん</rt></ruby>のないものなのである。
それらわ かがくと むじゅん する ものでわ なく、 かがくと えんの ない ものなので ある。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
『父』の中に、文さんが、露伴先生の心霊が正に肉体を離れようとする情景を見た時の記載がある。
『<ruby>父<rt>ちち</rt></ruby>』の<ruby>中<rt>なか</rt></ruby>に、<ruby>文<rt>あや</rt></ruby>さんが、<ruby>露伴<rt>ろはん</rt></ruby><ruby>先生<rt>せんせい</rt></ruby>の<ruby>心霊<rt>しんれい</rt></ruby>が<ruby>正<rt>まさ</rt></ruby>に<ruby>肉体<rt>にくたい</rt></ruby>を<ruby>離<rt>はな</rt></ruby>れようとする<ruby>情景<rt>じょうけい</rt></ruby>を<ruby>見<rt>み</rt></ruby>た<ruby>時<rt>とき</rt></ruby>の<ruby>記載<rt>きさい</rt></ruby>がある。
『ちち』の なかに、 あや さんが、 ろはん せんせいの しんれいが まさに にくたいを はなれよーと する じょーけいを みた ときの きさいが ある。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
二十七日の夜中、停電があった。
二十七<ruby>日<rt>にち</rt></ruby>の<ruby>夜中<rt>よなか</rt></ruby>、<ruby>停電<rt>ていでん</rt></ruby>があった。
27にちの よなか、 ていでんが あった。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
蝋燭はない。
<ruby>蝋燭<rt>ろうそく</rt></ruby>はない。
ろーそくわ ない。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
重態の父の枕頭、闇の沈黙に耐えかねた文さんはマッチを擦った。
<ruby>重態<rt>じゅうたい</rt></ruby>の<ruby>父<rt>ちち</rt></ruby>の<ruby>枕頭<rt>ちんとう</rt></ruby>、<ruby>闇<rt>やみ</rt></ruby>の<ruby>沈黙<rt>ちんもく</rt></ruby>に<ruby>耐<rt>た</rt></ruby>えかねた<ruby>文<rt>あや</rt></ruby>さんはマッチを<ruby>擦<rt>す</rt></ruby>った。
じゅーたいの ちちの ちんとー、 やみの ちんもくに たえかねた あや さんわ まっちを すった。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
「ほとばしり出る焔につづいて軸木に油が熔けわたり、しづかに縮まつて行き、尽きようとして煙草盆へ放し落したとき、父が身じろいだやうだつた。
「ほとばしり<ruby>出<rt>で</rt></ruby>る<ruby>焔<rt>ほのお</rt></ruby>につづいて<ruby>軸木<rt>じくぎ</rt></ruby>に<ruby>油<rt>あぶら</rt></ruby>が<ruby>熔<rt>と</rt></ruby>けわたり、しづかに<ruby>縮<rt>ちぢ</rt></ruby>まつて<ruby>行<rt>い</rt></ruby>き、<ruby>尽<rt>つ</rt></ruby>きようとして<ruby>煙草盆<rt>たばこぼん</rt></ruby>へ<ruby>放<rt>はな</rt></ruby>し<ruby>落<rt>おと</rt></ruby>したとき、<ruby>父<rt>ちち</rt></ruby>が<ruby>身<rt>み</rt></ruby>じろいだやうだつた。
「ほとばしりでる ほのおに つづいて じくぎに あぶらが とけわたり、 しずかに ちぢまって いき、 つきよーと して たばこぼんえ はなしおとした とき、 ちちが みじろいだよーだった。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
不安になつてもう一本しゆつと擦つて、ちよつとかかげた。
<ruby>不安<rt>ふあん</rt></ruby>になつてもう一<ruby>本<rt>ぽん</rt></ruby>しゆつと<ruby>擦<rt>す</rt></ruby>つて、ちよつとかかげた。
ふあんに なって もー 1ぽん しゅっと すって、 ちょっと かかげた。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
揺いでゐた」。
<ruby>揺<rt>ゆら</rt></ruby>いでゐた」。
ゆらいで いた」。
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この時の文さんの前には、枕のはしに落ちそうになっている露伴先生の頭があった。
この<ruby>時<rt>とき</rt></ruby>の<ruby>文<rt>あや</rt></ruby>さんの<ruby>前<rt>まえ</rt></ruby>には、<ruby>枕<rt>まくら</rt></ruby>のはしに<ruby>落<rt>お</rt></ruby>ちそうになっている<ruby>露伴<rt>ろはん</rt></ruby><ruby>先生<rt>せんせい</rt></ruby>の<ruby>頭<rt>あたま</rt></ruby>があった。
この ときの あや さんの まえにわ、 まくらの はしに おちそーに なって いる ろはん せんせいの あたまが あった。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
それは「まるで父にして父でなき、ものだつた。
それは「まるで<ruby>父<rt>ちち</rt></ruby>にして<ruby>父<rt>ちち</rt></ruby>でなき、ものだつた。
それわ 「まるで ちちにして ちちで なき、 'もの'だった。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
眼のまはり・こめかみ・頬・口辺、げそつと隈どり削げて、その眼。
<ruby>眼<rt>め</rt></ruby>のまはり・こめかみ・<ruby>頬<rt>ほお</rt></ruby>・<ruby>口辺<rt>こうへん</rt></ruby>、げそつと<ruby>隈<rt>くま</rt></ruby>どり<ruby>削<rt>そ</rt></ruby>げて、その<ruby>眼<rt>め</rt></ruby>。
めの まわり・こめかみ・ ほお・こーへん、 げそっと くまどりそげて、 その め。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
義眼もまだいい、魚族の眼もまだましだ。
<ruby>義眼<rt>ぎがん</rt></ruby>もまだいい、<ruby>魚族<rt>ぎょぞく</rt></ruby>の<ruby>眼<rt>め</rt></ruby>もまだましだ。
ぎがんも まだ いい、 ぎょぞくの めも まだ ましだ。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
しかし父の眼だつた。
しかし<ruby>父<rt>ちち</rt></ruby>の<ruby>眼<rt>め</rt></ruby>だつた。
しかし ちちの めだった。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
いや誰かの眼だつた」。
いや<ruby>誰<rt>だれ</rt></ruby>かの<ruby>眼<rt>め</rt></ruby>だつた」。
いや だれかの めだった」。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
文さんの頭からさっと血が引いた。
<ruby>文<rt>あや</rt></ruby>さんの<ruby>頭<rt>あたま</rt></ruby>からさっと<ruby>血<rt>ち</rt></ruby>が<ruby>引<rt>ひ</rt></ruby>いた。
あや さんの あたまから さっと ちが ひいた。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
「火が消え、いやな気持が濃くなり、父のそばから離れたかつた。
「<ruby>火<rt>ひ</rt></ruby>が<ruby>消<rt>き</rt></ruby>え、いやな<ruby>気持<rt>きもち</rt></ruby>が<ruby>濃<rt>こ</rt></ruby>くなり、<ruby>父<rt>ちち</rt></ruby>のそばから<ruby>離<rt>はな</rt></ruby>れたかつた。
「ひが きえ、 いやな きもちが こく なり、 ちちの そばから はなれたかった。
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逃げたかつた」。
<ruby>逃<rt>に</rt></ruby>げたかつた」。
にげたかった」。
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文さんはガラス戸を開けて外へ出た。
<ruby>文<rt>あや</rt></ruby>さんはガラス<ruby>戸<rt>ど</rt></ruby>を<ruby>開<rt>あ</rt></ruby>けて<ruby>外<rt>そと</rt></ruby>へ<ruby>出<rt>で</rt></ruby>た。
あや さんわ がらすどを あけて そとえ でた。
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「外の空気は、部屋の中より蒸し暑く、蜘蛛の巣のやうな何かが顔へぺたぺたした。
「<ruby>外<rt>そと</rt></ruby>の<ruby>空気<rt>くうき</rt></ruby>は、<ruby>部屋<rt>へや</rt></ruby>の<ruby>中<rt>なか</rt></ruby>より<ruby>蒸<rt>む</rt></ruby>し<ruby>暑<rt>あつ</rt></ruby>く、<ruby>蜘蛛<rt>くも</rt></ruby>の<ruby>巣<rt>す</rt></ruby>のやうな<ruby>何<rt>なに</rt></ruby>かが<ruby>顔<rt>かお</rt></ruby>へぺたぺたした。
「そとの くーきわ、 へやの なかより むしあつく、 くもの すのよーな なにかが かおえ ぺたぺた した。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
やがて電気がついた。
やがて<ruby>電気<rt>でんき</rt></ruby>がついた。
やがて でんきが ついた。
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父はいつもの通りしづかにしてゐる。
<ruby>父<rt>ちち</rt></ruby>はいつもの<ruby>通<rt>とお</rt></ruby>りしづかにしてゐる。
ちちわ いつもの とおり しずかに して いる。
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あけがた近いと知れてゐたが、異常な睡さだつた」。
あけがた<ruby>近<rt>ちか</rt></ruby>いと<ruby>知<rt>し</rt></ruby>れてゐたが、<ruby>異常<rt>いじょう</rt></ruby>な<ruby>睡<rt>ねむ</rt></ruby>さだつた」。
あけがた ちかいと しれて いたが、 いじょーな ねむさだった」。
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そしてこのあけがた、先生は文さんに「じゃ、おれはもう死んじゃうよ」といわれ、文さんは「父はかならず死ぬ」ときめた。
そしてこのあけがた、<ruby>先生<rt>せんせい</rt></ruby>は<ruby>文<rt>あや</rt></ruby>さんに「じゃ、おれはもう<ruby>死<rt>し</rt></ruby>んじゃうよ」といわれ、<ruby>文<rt>あや</rt></ruby>さんは「<ruby>父<rt>ちち</rt></ruby>はかならず<ruby>死<rt>し</rt></ruby>ぬ」ときめた。
そして この あけがた、 せんせいわ あや さんに 「じゃ、 おれわ もー しんじゃうよ」と いわれ、 あや さんわ 「ちちわ かならず しぬ」と きめた。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
こういう時の情景は、眼で見たこと、皮膚に感じたことを記述しただけでは、いい現わし得ない。
こういう<ruby>時<rt>とき</rt></ruby>の<ruby>情景<rt>じょうけい</rt></ruby>は、<ruby>眼<rt>め</rt></ruby>で<ruby>見<rt>み</rt></ruby>たこと、<ruby>皮膚<rt>ひふ</rt></ruby>に<ruby>感<rt>かん</rt></ruby>じたことを<ruby>記述<rt>きじゅつ</rt></ruby>しただけでは、いい<ruby>現<rt>あら</rt></ruby>わし<ruby>得<rt>え</rt></ruby>ない。
こー いう ときの じょーけいわ、 めで みた こと、 ひふに かんじた ことを きじゅつ しただけでわ、 いいあらわしえない。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
感じながらも、とらえんとすれば痕かたのないものである。
<ruby>感<rt>かん</rt></ruby>じながらも、とらえんとすれば<ruby>痕<rt>あと</rt></ruby>かたのないものである。
かんじながらも、 とらえんと すれば あとかたの ない もので ある。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
唯文さんの文章全体の中に、それが感ぜられるだけである。
<ruby>唯<rt>ただ</rt></ruby><ruby>文<rt>あや</rt></ruby>さんの<ruby>文章<rt>ぶんしょう</rt></ruby><ruby>全体<rt>ぜんたい</rt></ruby>の<ruby>中<rt>なか</rt></ruby>に、それが<ruby>感<rt>かん</rt></ruby>ぜられるだけである。
ただ あや さんの ぶんしょー ぜんたいの なかに、 それが かんぜられるだけで ある。
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『周易参同契』の中に、「太陽流珠、常に人を去らんと欲す」という文字がある。
『<ruby>周易<rt>しゅうえき</rt></ruby><ruby>参同契<rt>さんどうけい</rt></ruby>』の<ruby>中<rt>なか</rt></ruby>に、「<ruby>太陽<rt>たいよう</rt></ruby><ruby>流珠<rt>りゅうしゅ</rt></ruby>、<ruby>常<rt>つね</rt></ruby>に<ruby>人<rt>ひと</rt></ruby>を<ruby>去<rt>さ</rt></ruby>らんと<ruby>欲<rt>ほっ</rt></ruby>す」という<ruby>文字<rt>もじ</rt></ruby>がある。
『しゅーえき さんどーけい』の なかに、 「たいよー りゅーしゅ、 つねに ひとを さらんと ほっす」と いう もじが ある。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
露伴先生の解によれば、琉珠というのはこの場合は脳を指している。
<ruby>露伴<rt>ろはん</rt></ruby><ruby>先生<rt>せんせい</rt></ruby>の<ruby>解<rt>かい</rt></ruby>によれば、<ruby>琉珠<rt>りゅうしゅ</rt></ruby>というのはこの<ruby>場合<rt>ばあい</rt></ruby>は<ruby>脳<rt>のう</rt></ruby>を<ruby>指<rt>さ</rt></ruby>している。
ろはん せんせいの かいに よれば、 りゅーしゅと いうのわ この ばあいわ のーを さして いる。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
「人の霊作用が、常に外界内界に応酬して、その円妙精美のものを発揮し去り流動し去り消耗し去らずには居らぬところを、流珠常に人を去らんと欲すと云つたのである」。
「<ruby>人<rt>ひと</rt></ruby>の<ruby>霊<rt>れい</rt></ruby><ruby>作用<rt>さよう</rt></ruby>が、<ruby>常<rt>つね</rt></ruby>に<ruby>外界<rt>がいかい</rt></ruby><ruby>内界<rt>ないかい</rt></ruby>に<ruby>応酬<rt>おうしゅう</rt></ruby>して、その<ruby>円妙<rt>えんみょう</rt></ruby><ruby>精美<rt>せいび</rt></ruby>のものを<ruby>発揮<rt>はっき</rt></ruby>し<ruby>去<rt>さ</rt></ruby>り<ruby>流動<rt>りゅうどう</rt></ruby>し<ruby>去<rt>さ</rt></ruby>り<ruby>消耗<rt>しょうもう</rt></ruby>し<ruby>去<rt>さ</rt></ruby>らずには<ruby>居<rt>お</rt></ruby>らぬところを、<ruby>流珠<rt>りゅうしゅ</rt></ruby><ruby>常<rt>つね</rt></ruby>に<ruby>人<rt>ひと</rt></ruby>を<ruby>去<rt>さ</rt></ruby>らんと<ruby>欲<rt>ほっ</rt></ruby>すと<ruby>云<rt>い</rt></ruby>つたのである」。
「ひとの れい さよーが、 つねに がいかい ないかいに おーしゅー して、 その えんみょー せいびの ものを はっき しさり りゅーどー しさり しょーもー しさらずにわ おらぬ ところを、 りゅーしゅ つねに ひとを さらんと ほっすと いったので ある」。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
「流珠常に人を去らんと欲す」を、言葉で説明することは出来ない。
「<ruby>流珠<rt>りゅうしゅ</rt></ruby><ruby>常<rt>つね</rt></ruby>に<ruby>人<rt>ひと</rt></ruby>を<ruby>去<rt>さ</rt></ruby>らんと<ruby>欲<rt>ほっ</rt></ruby>す」を、<ruby>言葉<rt>ことば</rt></ruby>で<ruby>説明<rt>せつめい</rt></ruby>することは<ruby>出来<rt>でき</rt></ruby>ない。
「りゅーしゅ つねに ひとを さらんと ほっす」を、 ことばで せつめい する ことわ できない。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
説明というからには、広い意味での論理の形式をとらなければならない。
<ruby>説明<rt>せつめい</rt></ruby>というからには、<ruby>広<rt>ひろ</rt></ruby>い<ruby>意味<rt>いみ</rt></ruby>での<ruby>論理<rt>ろんり</rt></ruby>の<ruby>形式<rt>けいしき</rt></ruby>をとらなければならない。
せつめいと いうからにわ、 ひろい いみでの ろんりの けいしきを とらなければ ならない。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
モネラなる無核の単細胞生物を発見したと誤認したヘッケルは、『宇宙の謎』において、生命と物質との一元論を強調した。
モネラなる<ruby>無核<rt>むかく</rt></ruby>の<ruby>単細胞<rt>たんさいぼう</rt></ruby><ruby>生物<rt>せいぶつ</rt></ruby>を<ruby>発見<rt>はっけん</rt></ruby>したと<ruby>誤認<rt>ごにん</rt></ruby>したヘッケルは、『<ruby>宇宙<rt>うちゅう</rt></ruby>の<ruby>謎<rt>なぞ</rt></ruby>』において、<ruby>生命<rt>せいめい</rt></ruby>と<ruby>物質<rt>ぶっしつ</rt></ruby>との一<ruby>元論<rt>げんろん</rt></ruby>を<ruby>強調<rt>きょうちょう</rt></ruby>した。
もねらなる むかくの たんさいぼー せいぶつを はっけん したと ごにん した へっけるわ、 『うちゅーの なぞ』に おいて、 せいめいと ぶっしつとの 1げんろんを きょーちょー した。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
しかしそれは余りにも現在の科学を過信したものであった。
しかしそれは<ruby>余<rt>あま</rt></ruby>りにも<ruby>現在<rt>げんざい</rt></ruby>の<ruby>科学<rt>かがく</rt></ruby>を<ruby>過信<rt>かしん</rt></ruby>したものであった。
しかし それわ あまりにも げんざいの かがくを かしん した もので あった。
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もし将来核がなくて原形質だけの生物が発見され、一方「生きている」蛋白質が合成されるような日が来たと仮定しても、生命現象の神秘や自意識の本態が、そういう方向から解明されることはないであろう。
もし<ruby>将来<rt>しょうらい</rt></ruby><ruby>核<rt>かく</rt></ruby>がなくて<ruby>原形質<rt>げんけいしつ</rt></ruby>だけの<ruby>生物<rt>せいぶつ</rt></ruby>が<ruby>発見<rt>はっけん</rt></ruby>され、<ruby>一方<rt>いっぽう</rt></ruby>「<ruby>生<rt>い</rt></ruby>きている」<ruby>蛋白質<rt>たんぱくしつ</rt></ruby>が<ruby>合成<rt>ごうせい</rt></ruby>されるような<ruby>日<rt>ひ</rt></ruby>が<ruby>来<rt>き</rt></ruby>たと<ruby>仮定<rt>かてい</rt></ruby>しても、<ruby>生命<rt>せいめい</rt></ruby><ruby>現象<rt>げんしょう</rt></ruby>の<ruby>神秘<rt>しんぴ</rt></ruby>や<ruby>自意識<rt>じいしき</rt></ruby>の<ruby>本態<rt>ほんたい</rt></ruby>が、そういう<ruby>方向<rt>ほうこう</rt></ruby>から<ruby>解明<rt>かいめい</rt></ruby>されることはないであろう。
もし しょーらい かくが なくて げんけいしつだけの せいぶつが はっけん され、 いっぽー 「いきて いる」 たんぱくしつが ごーせい されるよーな ひが きたと かてい しても、 せいめい げんしょーの しんぴや じいしきの ほんたいが、 そー いう ほーこーから かいめい される ことわ ないで あろー。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
現代の優れた科学者たちは、ヘッケル流の考え方をしていない。
<ruby>現代<rt>げんだい</rt></ruby>の<ruby>優<rt>すぐ</rt></ruby>れた<ruby>科学者<rt>かがくしゃ</rt></ruby>たちは、ヘッケル<ruby>流<rt>りゅう</rt></ruby>の<ruby>考<rt>かんが</rt></ruby>え<ruby>方<rt>かた</rt></ruby>をしていない。
げんだいの すぐれた かがくしゃたちわ、 へっけるりゅーの かんがえかたを して いない。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
近代原子物理学の父ボーアの相補性原理が、その一番はっきりした拠点である。
<ruby>近代<rt>きんだい</rt></ruby><ruby>原子<rt>げんし</rt></ruby><ruby>物理学<rt>ぶつりがく</rt></ruby>の<ruby>父<rt>ちち</rt></ruby>ボーアの<ruby>相補性<rt>そうほせい</rt></ruby><ruby>原理<rt>げんり</rt></ruby>が、その<ruby>一番<rt>いちばん</rt></ruby>はっきりした<ruby>拠点<rt>きょてん</rt></ruby>である。
きんだい げんし ぶつりがくの ちち ぼーあの そーほせい げんりが、 その いちばん はっきり した きょてんで ある。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
相補性原理によれば、人間の認識には限界がある。
<ruby>相補性<rt>そうほせい</rt></ruby><ruby>原理<rt>げんり</rt></ruby>によれば、<ruby>人間<rt>にんげん</rt></ruby>の<ruby>認識<rt>にんしき</rt></ruby>には<ruby>限界<rt>げんかい</rt></ruby>がある。
そーほせい げんりに よれば、 にんげんの にんしきにわ げんかいが ある。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
例えば原子については、その位置と速度とを、同時に決定することは出来ない。
<ruby>例<rt>たと</rt></ruby>えば<ruby>原子<rt>げんし</rt></ruby>については、その<ruby>位置<rt>いち</rt></ruby>と<ruby>速度<rt>そくど</rt></ruby>とを、<ruby>同時<rt>どうじ</rt></ruby>に<ruby>決定<rt>けってい</rt></ruby>することは<ruby>出来<rt>でき</rt></ruby>ない。
たとえば げんしに ついてわ、 その いちと そくどとを、 どーじに けってい する ことわ できない。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
それは実験的に不可能なのではなく、本質的に不可能なのである。
それは<ruby>実験的<rt>じっけんてき</rt></ruby>に<ruby>不可能<rt>ふかのう</rt></ruby>なのではなく、<ruby>本質的<rt>ほんしつてき</rt></ruby>に<ruby>不可能<rt>ふかのう</rt></ruby>なのである。
それわ じっけんてきに ふかのーなのでわ なく、 ほんしつてきに ふかのーなので ある。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
電子は粒子の性質と波動の性質とを、ともに持っていることが、実験的に確められている。
<ruby>電子<rt>でんし</rt></ruby>は<ruby>粒子<rt>りゅうし</rt></ruby>の<ruby>性質<rt>せいしつ</rt></ruby>と<ruby>波動<rt>はどう</rt></ruby>の<ruby>性質<rt>せいしつ</rt></ruby>とを、ともに<ruby>持<rt>も</rt></ruby>っていることが、<ruby>実験的<rt>じっけんてき</rt></ruby>に<ruby>確<rt>たしか</rt></ruby>められている。
でんしわ りゅーしの せいしつと はどーの せいしつとを、 ともに もって いる ことが、 じっけんてきに たしかめられて いる。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
そのこと自身が、電子の位置と速度とを同時にきめることが出来ないことを示している。
そのこと<ruby>自身<rt>じしん</rt></ruby>が、<ruby>電子<rt>でんし</rt></ruby>の<ruby>位置<rt>いち</rt></ruby>と<ruby>速度<rt>そくど</rt></ruby>とを<ruby>同時<rt>どうじ</rt></ruby>にきめることが<ruby>出来<rt>でき</rt></ruby>ないことを<ruby>示<rt>しめ</rt></ruby>している。
その こと じしんが、 でんしの いちと そくどとを どーじに きめる ことが できない ことを しめして いる。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
位置を詳しく見れば速度はぼやけ、速度を精密にきめれば位置がぼやける。
<ruby>位置<rt>いち</rt></ruby>を<ruby>詳<rt>くわ</rt></ruby>しく<ruby>見<rt>み</rt></ruby>れば<ruby>速度<rt>そくど</rt></ruby>はぼやけ、<ruby>速度<rt>そくど</rt></ruby>を<ruby>精密<rt>せいみつ</rt></ruby>にきめれば<ruby>位置<rt>いち</rt></ruby>がぼやける。
いちを くわしく みれば そくどわ ぼやけ、 そくどを せいみつに きめれば いちが ぼやける。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
電子については、位置と速度とは、認識の上で相補性を示しているのである。
<ruby>電子<rt>でんし</rt></ruby>については、<ruby>位置<rt>いち</rt></ruby>と<ruby>速度<rt>そくど</rt></ruby>とは、<ruby>認識<rt>にんしき</rt></ruby>の<ruby>上<rt>うえ</rt></ruby>で<ruby>相補性<rt>そうほせい</rt></ruby>を<ruby>示<rt>しめ</rt></ruby>しているのである。
でんしに ついてわ、 いちと そくどとわ、 にんしきの うえで そーほせいを しめして いるので ある。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
そしてボーアを初め、優れた理論物理学者たちは、現在の物質科学と生命現象とは、この相補性の関係にあるのであろうと考えている。
そしてボーアを<ruby>初<rt>はじ</rt></ruby>め、<ruby>優<rt>すぐ</rt></ruby>れた<ruby>理論<rt>りろん</rt></ruby><ruby>物理<rt>ぶつり</rt></ruby><ruby>学者<rt>がくしゃ</rt></ruby>たちは、<ruby>現在<rt>げんざい</rt></ruby>の<ruby>物質<rt>ぶっしつ</rt></ruby><ruby>科学<rt>かがく</rt></ruby>と<ruby>生命<rt>せいめい</rt></ruby><ruby>現象<rt>げんしょう</rt></ruby>とは、この<ruby>相補性<rt>そうほせい</rt></ruby>の<ruby>関係<rt>かんけい</rt></ruby>にあるのであろうと<ruby>考<rt>かんが</rt></ruby>えている。
そして ぼーあを はじめ、 すぐれた りろん ぶつり がくしゃたちわ、 げんざいの ぶっしつ かがくと せいめい げんしょーとわ、 この そーほせいの かんけいに あるので あろーと かんがえて いる。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
生物学の進歩と有機化学の発達とが、進めば進むほど、細胞の生命や原形質の性質についての知識が深められる。
<ruby>生物学<rt>せいぶつがく</rt></ruby>の<ruby>進歩<rt>しんぽ</rt></ruby>と<ruby>有機<rt>ゆうき</rt></ruby><ruby>化学<rt>かがく</rt></ruby>の<ruby>発達<rt>はったつ</rt></ruby>とが、<ruby>進<rt>すす</rt></ruby>めば<ruby>進<rt>すす</rt></ruby>むほど、<ruby>細胞<rt>さいぼう</rt></ruby>の<ruby>生命<rt>せいめい</rt></ruby>や<ruby>原形質<rt>げんけいしつ</rt></ruby>の<ruby>性質<rt>せいしつ</rt></ruby>についての<ruby>知識<rt>ちしき</rt></ruby>が<ruby>深<rt>ふか</rt></ruby>められる。
せいぶつがくの しんぽと ゆーき かがくの はったつとが、 すすめば すすむほど、 さいぼーの せいめいや げんけいしつの せいしつに ついての ちしきが ふかめられる。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
その点には間違いがない。
その<ruby>点<rt>てん</rt></ruby>には<ruby>間違<rt>まちが</rt></ruby>いがない。
その てんにわ まちがいが ない。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
生命は現代の科学的思考と相補的な関係にある頭の働き、即ち感得する術によってのみ、我々の認識の中に入ってくるものであっても、ちっとも差しつかえない。
<ruby>生命<rt>せいめい</rt></ruby>は<ruby>現代<rt>げんだい</rt></ruby>の<ruby>科学的<rt>かがくてき</rt></ruby><ruby>思考<rt>しこう</rt></ruby>と<ruby>相補的<rt>そうほてき</rt></ruby>な<ruby>関係<rt>かんけい</rt></ruby>にある<ruby>頭<rt>あたま</rt></ruby>の<ruby>働<rt>はたら</rt></ruby>き、<ruby>即<rt>すなわ</rt></ruby>ち<ruby>感得<rt>かんとく</rt></ruby>する<ruby>術<rt>すべ</rt></ruby>によってのみ、<ruby>我々<rt>われわれ</rt></ruby>の<ruby>認識<rt>にんしき</rt></ruby>の<ruby>中<rt>なか</rt></ruby>に<ruby>入<rt>はい</rt></ruby>ってくるものであっても、ちっとも<ruby>差<rt>さ</rt></ruby>しつかえない。
せいめいわ げんだいの かがくてき しこーと そーほてきな かんけいに ある あたまの はたらき、 すなわち かんとく する すべに よってのみ、 われわれの にんしきの なかに はいって くる もので あっても、 ちっとも さしつかえない。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
それは科学と抵触することにはならない。
それは<ruby>科学<rt>かがく</rt></ruby>と<ruby>抵触<rt>ていしょく</rt></ruby>することにはならない。
それわ かがくと ていしょく する ことにわ ならない。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
唯厄介なことには、この間の消息は、文字はもちろんのこと、言語によって説明するということが出来ない。
<ruby>唯<rt>ただ</rt></ruby><ruby>厄介<rt>やっかい</rt></ruby>なことには、この<ruby>間<rt>かん</rt></ruby>の<ruby>消息<rt>しょうそく</rt></ruby>は、<ruby>文字<rt>もじ</rt></ruby>はもちろんのこと、<ruby>言語<rt>げんご</rt></ruby>によって<ruby>説明<rt>せつめい</rt></ruby>するということが<ruby>出来<rt>でき</rt></ruby>ない。
ただ やっかいな ことにわ、 このかんの しょーそくわ、 もじわ もちろんの こと、 げんごに よって せつめい すると いう ことが できない。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
説明をすれば、それは広い意味での科学の領域にはいってしまうからである。
<ruby>説明<rt>せつめい</rt></ruby>をすれば、それは<ruby>広<rt>ひろ</rt></ruby>い<ruby>意味<rt>いみ</rt></ruby>での<ruby>科学<rt>かがく</rt></ruby>の<ruby>領域<rt>りょういき</rt></ruby>にはいってしまうからである。
せつめいを すれば、 それわ ひろい いみでの かがくの りょーいきに はいって しまうからで ある。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
こういう考え方をすれば、生命現象は、説明すべきものではなく、感得すべきものであるということがいえよう。
こういう<ruby>考<rt>かんが</rt></ruby>え<ruby>方<rt>かた</rt></ruby>をすれば、<ruby>生命<rt>せいめい</rt></ruby><ruby>現象<rt>げんしょう</rt></ruby>は、<ruby>説明<rt>せつめい</rt></ruby>すべきものではなく、<ruby>感得<rt>かんとく</rt></ruby>すべきものであるということがいえよう。
こー いう かんがえかたを すれば、 せいめい げんしょーわ、 せつめい すべき ものでわ なく、 かんとく すべき もので あると いう ことが いえよー。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
自己の生命について、少し内観したことのある人は、それが「円妙精美のものを発揮し去り流動し去り消耗し去らずにはおらぬところ」を感得することが出来るであろう。
<ruby>自己<rt>じこ</rt></ruby>の<ruby>生命<rt>せいめい</rt></ruby>について、<ruby>少<rt>すこ</rt></ruby>し<ruby>内観<rt>ないかん</rt></ruby>したことのある<ruby>人<rt>ひと</rt></ruby>は、それが「<ruby>円妙<rt>えんみょう</rt></ruby><ruby>精美<rt>せいび</rt></ruby>のものを<ruby>発揮<rt>はっき</rt></ruby>し<ruby>去<rt>さ</rt></ruby>り<ruby>流動<rt>りゅうどう</rt></ruby>し<ruby>去<rt>さ</rt></ruby>り<ruby>消耗<rt>しょうもう</rt></ruby>し<ruby>去<rt>さ</rt></ruby>らずにはおらぬところ」を<ruby>感得<rt>かんとく</rt></ruby>することが<ruby>出来<rt>でき</rt></ruby>るであろう。
じこの せいめいに ついて、 すこし ないかん した ことの ある ひとわ、 それが 「えんみょー せいびの ものを はっき しさり りゅーどー しさり しょーもー しさらずにわ おらぬ ところ」を かんとく する ことが できるで あろー。
中谷宇吉郎/露伴先生と神仙道/rohansenseito.txt
今年の冬は、二度十勝岳へ行った。
<ruby>今年<rt>ことし</rt></ruby>の<ruby>冬<rt>ふゆ</rt></ruby>は、二<ruby>度<rt>ど</rt></ruby><ruby>十勝岳<rt>とかちだけ</rt></ruby>へ<ruby>行<rt>い</rt></ruby>った。
ことしの ふゆわ、 2ど とかちだけえ いった。
中谷宇吉郎/雪後記/yuki.txt
そしてそれは、私にとっては、誠に待望の十勝行の再挙が遂に成ったものであった。
そしてそれは、<ruby>私<rt>わたくし</rt></ruby>にとっては、<ruby>誠<rt>まこと</rt></ruby>に<ruby>待望<rt>たいぼう</rt></ruby>の<ruby>十勝行<rt>とかちゆき</rt></ruby>の<ruby>再挙<rt>さいきょ</rt></ruby>が<ruby>遂<rt>つい</rt></ruby>に<ruby>成<rt>な</rt></ruby>ったものであった。
そして それわ、 わたくしに とってわ、 まことに たいぼーの とかちゆきの さいきょが ついに なった もので あった。
中谷宇吉郎/雪後記/yuki.txt
冬の十勝行ももう旧い話で、実のところ、今ではもはや私たちの仲間の雪の研究の生活の中では、何も事新しい話ではない。
<ruby>冬<rt>ふゆ</rt></ruby>の<ruby>十勝行<rt>とかちゆき</rt></ruby>ももう<ruby>旧<rt>ふる</rt></ruby>い<ruby>話<rt>はなし</rt></ruby>で、<ruby>実<rt>じつ</rt></ruby>のところ、<ruby>今<rt>いま</rt></ruby>ではもはや<ruby>私<rt>わたくし</rt></ruby>たちの<ruby>仲間<rt>なかま</rt></ruby>の<ruby>雪<rt>ゆき</rt></ruby>の<ruby>研究<rt>けんきゅう</rt></ruby>の<ruby>生活<rt>せいかつ</rt></ruby>の<ruby>中<rt>なか</rt></ruby>では、<ruby>何<rt>なに</rt></ruby>も<ruby>事新<rt>ことあたら</rt></ruby>しい<ruby>話<rt>はなし</rt></ruby>ではない。
ふゆの とかちゆきも もー ふるい はなしで、 じつの ところ、 いまでわ もはや わたくしたちの なかまの ゆきの けんきゅーの せいかつの なかでわ、 なにも ことあたらしい はなしでわ ない。
中谷宇吉郎/雪後記/yuki.txt
しかし私自身にとっては、あの五年前の冬の十勝行が名残りとなってしまっていたのである。
しかし<ruby>私<rt>わたくし</rt></ruby><ruby>自身<rt>じしん</rt></ruby>にとっては、あの五<ruby>年<rt>ねん</rt></ruby><ruby>前<rt>まえ</rt></ruby>の<ruby>冬<rt>ふゆ</rt></ruby>の<ruby>十勝行<rt>とかちゆき</rt></ruby>が<ruby>名残<rt>なご</rt></ruby>りとなってしまっていたのである。
しかし わたくし じしんに とってわ、 あの 5ねん まえの ふゆの とかちゆきが なごりと なって しまって いたので ある。
中谷宇吉郎/雪後記/yuki.txt
というのは、その後ずっと健康に恵まれなかった私には、再びあの十勝の雪に埋れながら顕微鏡を覗き暮す生活が巡り来ようとは思われなかったからである。
というのは、その<ruby>後<rt>ご</rt></ruby>ずっと<ruby>健康<rt>けんこう</rt></ruby>に<ruby>恵<rt>めぐ</rt></ruby>まれなかった<ruby>私<rt>わたくし</rt></ruby>には、<ruby>再<rt>ふたた</rt></ruby>びあの<ruby>十勝<rt>とかち</rt></ruby>の<ruby>雪<rt>ゆき</rt></ruby>に<ruby>埋<rt>うも</rt></ruby>れながら<ruby>顕微鏡<rt>けんびきょう</rt></ruby>を<ruby>覗<rt>のぞ</rt></ruby>き<ruby>暮<rt>くら</rt></ruby>す<ruby>生活<rt>せいかつ</rt></ruby>が<ruby>巡<rt>めぐ</rt></ruby>り<ruby>来<rt>こ</rt></ruby>ようとは<ruby>思<rt>おも</rt></ruby>われなかったからである。
と いうのわ、 そのご ずっと けんこーに めぐまれなかった わたくしにわ、 ふたたび あの とかちの ゆきに うもれながら けんびきょーを のぞきくらす せいかつが めぐりこよーとわ おもわれなかったからで ある。
中谷宇吉郎/雪後記/yuki.txt
四冬にかけて、冬毎に遠く十勝の雪を思い見る日が続いた。
<ruby>四冬<rt>よふゆ</rt></ruby>にかけて、<ruby>冬毎<rt>ふゆごと</rt></ruby>に<ruby>遠<rt>とお</rt></ruby>く<ruby>十勝<rt>とかち</rt></ruby>の<ruby>雪<rt>ゆき</rt></ruby>を<ruby>思<rt>おも</rt></ruby>い<ruby>見<rt>み</rt></ruby>る<ruby>日<rt>ひ</rt></ruby>が<ruby>続<rt>つづ</rt></ruby>いた。
よふゆに かけて、 ふゆごとに とおく とかちの ゆきを おもいみる ひが つづいた。
中谷宇吉郎/雪後記/yuki.txt
そして暖かい伊豆のいで湯に浸りながら漸くに貯えた乏しい生命を、少しずつ小出しに出して、時々札幌へ帰って来ては、思い出の雪の結晶の様々を、低温室の中で人工的に作って見るという生活を続けていた。
そして<ruby>暖<rt>あたた</rt></ruby>かい<ruby>伊豆<rt>いず</rt></ruby>のいで<ruby>湯<rt>ゆ</rt></ruby>に<ruby>浸<rt>ひた</rt></ruby>りながら<ruby>漸<rt>ようや</rt></ruby>くに<ruby>貯<rt>たくわ</rt></ruby>えた<ruby>乏<rt>とぼ</rt></ruby>しい<ruby>生命<rt>せいめい</rt></ruby>を、<ruby>少<rt>すこ</rt></ruby>しずつ<ruby>小出<rt>こだ</rt></ruby>しに<ruby>出<rt>だ</rt></ruby>して、<ruby>時々<rt>ときどき</rt></ruby><ruby>札幌<rt>さっぽろ</rt></ruby>へ<ruby>帰<rt>かえ</rt></ruby>って<ruby>来<rt>き</rt></ruby>ては、<ruby>思<rt>おも</rt></ruby>い<ruby>出<rt>で</rt></ruby>の<ruby>雪<rt>ゆき</rt></ruby>の<ruby>結晶<rt>けっしょう</rt></ruby>の<ruby>様々<rt>さまざま</rt></ruby>を、<ruby>低温室<rt>ていおんしつ</rt></ruby>の<ruby>中<rt>なか</rt></ruby>で<ruby>人工的<rt>じんこうてき</rt></ruby>に<ruby>作<rt>つく</rt></ruby>って<ruby>見<rt>み</rt></ruby>るという<ruby>生活<rt>せいかつ</rt></ruby>を<ruby>続<rt>つづ</rt></ruby>けていた。
そして あたたかい いずの いでゆに ひたりながら よーやくに たくわえた とぼしい せいめいを、 すこしずつ こだしに だして、 ときどき さっぽろえ かえって きてわ、 おもいでの ゆきの けっしょーの さまざまを、 ていおんしつの なかで じんこーてきに つくって みると いう せいかつを つづけて いた。
中谷宇吉郎/雪後記/yuki.txt
そういう暢気なようで、しかも心の底に何か切迫したところのある生活にも到頭別れる日が来た。
そういう<ruby>暢気<rt>のんき</rt></ruby>なようで、しかも<ruby>心<rt>こころ</rt></ruby>の<ruby>底<rt>そこ</rt></ruby>に<ruby>何<rt>なに</rt></ruby>か<ruby>切迫<rt>せっぱく</rt></ruby>したところのある<ruby>生活<rt>せいかつ</rt></ruby>にも<ruby>到頭<rt>とうとう</rt></ruby><ruby>別<rt>わか</rt></ruby>れる<ruby>日<rt>ひ</rt></ruby>が<ruby>来<rt>き</rt></ruby>た。
そー いう のんきなよーで、 しかも こころの そこに なにか せっぱく した ところの ある せいかつにも とーとー わかれる ひが きた。
中谷宇吉郎/雪後記/yuki.txt
そしてすっかり健康を恢復した私は、暮のうちからもう今度の十勝行の再挙について、本当に晴れやかな気持で心準備をするようになっていた。
そしてすっかり<ruby>健康<rt>けんこう</rt></ruby>を<ruby>恢復<rt>かいふく</rt></ruby>した<ruby>私<rt>わたくし</rt></ruby>は、<ruby>暮<rt>くれ</rt></ruby>のうちからもう<ruby>今度<rt>こんど</rt></ruby>の<ruby>十勝行<rt>とかちゆき</rt></ruby>の<ruby>再挙<rt>さいきょ</rt></ruby>について、<ruby>本当<rt>ほんとう</rt></ruby>に<ruby>晴<rt>は</rt></ruby>れやかな<ruby>気持<rt>きもち</rt></ruby>で<ruby>心<rt>こころ</rt></ruby><ruby>準備<rt>じゅんび</rt></ruby>をするようになっていた。
そして すっかり けんこーを かいふく した わたくしわ、 くれの うちから もー こんどの とかちゆきの さいきょに ついて、 ほんとーに はれやかな きもちで こころ じゅんびを するよーに なって いた。
中谷宇吉郎/雪後記/yuki.txt
今年の二月一日の朝は、例年になく寒い朝であった。
<ruby>今年<rt>ことし</rt></ruby>の二<ruby>月<rt>がつ</rt></ruby><ruby>一日<rt>ついたち</rt></ruby>の<ruby>朝<rt>あさ</rt></ruby>は、<ruby>例年<rt>れいねん</rt></ruby>になく<ruby>寒<rt>さむ</rt></ruby>い<ruby>朝<rt>あさ</rt></ruby>であった。
ことしの 2がつ ついたちの あさわ、 れいねんに なく さむい あさで あった。
中谷宇吉郎/雪後記/yuki.txt
前夜旭川で泊った私たちの一行が上富良野の駅へ下りたのは、まだ朝の七時前であった。
<ruby>前夜<rt>ぜんや</rt></ruby><ruby>旭川<rt>あさひかわ</rt></ruby>で<ruby>泊<rt>とま</rt></ruby>った<ruby>私<rt>わたくし</rt></ruby>たちの<ruby>一行<rt>いっこう</rt></ruby>が<ruby>上富良野<rt>かみふらの</rt></ruby>の<ruby>駅<rt>えき</rt></ruby>へ<ruby>下<rt>お</rt></ruby>りたのは、まだ<ruby>朝<rt>あさ</rt></ruby>の七<ruby>時<rt>じ</rt></ruby><ruby>前<rt>まえ</rt></ruby>であった。
ぜんや あさひかわで とまった わたくしたちの いっこーが かみふらのの えきえ おりたのわ、 まだ あさの 7じ まえで あった。
中谷宇吉郎/雪後記/yuki.txt
北国の真冬のこととて、勿論まだ陽は出ていなかった。
<ruby>北国<rt>きたぐに</rt></ruby>の<ruby>真冬<rt>まふゆ</rt></ruby>のこととて、<ruby>勿論<rt>もちろん</rt></ruby>まだ<ruby>陽<rt>ひ</rt></ruby>は<ruby>出<rt>で</rt></ruby>ていなかった。
きたぐにの まふゆの こととて、 もちろん まだ ひわ でて いなかった。
中谷宇吉郎/雪後記/yuki.txt
しかし珍しく晴れ渡った空は一面に、高緯度の土地に特有な青磁色に淡く輝いていた。
しかし<ruby>珍<rt>めずら</rt></ruby>しく<ruby>晴<rt>は</rt></ruby>れ<ruby>渡<rt>わた</rt></ruby>った<ruby>空<rt>そら</rt></ruby>は<ruby>一面<rt>いちめん</rt></ruby>に、<ruby>高緯度<rt>こういど</rt></ruby>の<ruby>土地<rt>とち</rt></ruby>に<ruby>特有<rt>とくゆう</rt></ruby>な<ruby>青磁色<rt>せいじいろ</rt></ruby>に<ruby>淡<rt>あわ</rt></ruby>く<ruby>輝<rt>かがや</rt></ruby>いていた。
しかし めずらしく はれわたった そらわ いちめんに、 こーいどの とちに とくゆーな せいじいろに あわく かがやいて いた。
中谷宇吉郎/雪後記/yuki.txt
そして大地の上を低く、あるか無きかの靄がひっそりと蔽っていた。
そして<ruby>大地<rt>だいち</rt></ruby>の<ruby>上<rt>うえ</rt></ruby>を<ruby>低<rt>ひく</rt></ruby>く、あるか<ruby>無<rt>な</rt></ruby>きかの<ruby>靄<rt>もや</rt></ruby>がひっそりと<ruby>蔽<rt>おお</rt></ruby>っていた。
そして だいちの うえを ひくく、 あるか なきかの もやが ひっそりと おおって いた。
中谷宇吉郎/雪後記/yuki.txt
こういう厳寒の夜に低くたれこめる靄は、地上のすべてのものを凍らしてしまうような靄である。
こういう<ruby>厳寒<rt>げんかん</rt></ruby>の<ruby>夜<rt>よる</rt></ruby>に<ruby>低<rt>ひく</rt></ruby>くたれこめる<ruby>靄<rt>もや</rt></ruby>は、<ruby>地上<rt>ちじょう</rt></ruby>のすべてのものを<ruby>凍<rt>こお</rt></ruby>らしてしまうような<ruby>靄<rt>もや</rt></ruby>である。
こー いう げんかんの よるに ひくく たれこめる もやわ、 ちじょーの すべての ものを こおらして しまうよーな もやで ある。
中谷宇吉郎/雪後記/yuki.txt
あとで聞いた話であるが、この朝は零下二十七度まで下ったということである。
あとで<ruby>聞<rt>き</rt></ruby>いた<ruby>話<rt>はなし</rt></ruby>であるが、この<ruby>朝<rt>あさ</rt></ruby>は<ruby>零下<rt>れいか</rt></ruby>二十七<ruby>度<rt>ど</rt></ruby>まで<ruby>下<rt>さが</rt></ruby>ったということである。
あとで きいた はなしで あるが、 この あさわ れいか 27どまで さがったと いう ことで ある。
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出迎えの村役場の助役さんとも五年振りの邂逅であった。
<ruby>出迎<rt>でむか</rt></ruby>えの<ruby>村役場<rt>むらやくば</rt></ruby>の<ruby>助役<rt>じょやく</rt></ruby>さんとも五<ruby>年振<rt>ねんぶ</rt></ruby>りの<ruby>邂逅<rt>かいこう</rt></ruby>であった。
でむかえの むらやくばの じょやくさんとも 5ねんぶりの かいこーで あった。
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暫く挨拶をかわしているうちにも、もう鼻の中が冷え切って、冷い空気がそのまま胸の中まで浸み通るような気がした。
<ruby>暫<rt>しばら</rt></ruby>く<ruby>挨拶<rt>あいさつ</rt></ruby>をかわしているうちにも、もう<ruby>鼻<rt>はな</rt></ruby>の<ruby>中<rt>なか</rt></ruby>が<ruby>冷<rt>ひ</rt></ruby>え<ruby>切<rt>き</rt></ruby>って、<ruby>冷<rt>つめた</rt></ruby>い<ruby>空気<rt>くうき</rt></ruby>がそのまま<ruby>胸<rt>むね</rt></ruby>の<ruby>中<rt>なか</rt></ruby>まで<ruby>浸<rt>し</rt></ruby>み<ruby>通<rt>とお</rt></ruby>るような<ruby>気<rt>き</rt></ruby>がした。
しばらく あいさつを かわして いる うちにも、 もー はなの なかが ひえきって、 つめたい くーきが そのまま むねの なかまで しみとおるよーな きが した。
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それでみんなで大急ぎに身仕度をして、すっかり防寒服につつまれて、馬橇の上に三人ずつ行儀よく丸く納まることにした。
それでみんなで<ruby>大急<rt>おおいそ</rt></ruby>ぎに<ruby>身仕度<rt>みじたく</rt></ruby>をして、すっかり<ruby>防寒服<rt>ぼうかんふく</rt></ruby>につつまれて、<ruby>馬橇<rt>ばそり</rt></ruby>の<ruby>上<rt>うえ</rt></ruby>に三<ruby>人<rt>にん</rt></ruby>ずつ<ruby>行儀<rt>ぎょうぎ</rt></ruby>よく<ruby>丸<rt>まる</rt></ruby>く<ruby>納<rt>おさ</rt></ruby>まることにした。
それで みんなで おおいそぎに みじたくを して、 すっかり ぼーかんふくに つつまれて、 ばそりの うえに 3にんずつ ぎょーぎ よく まるく おさまる ことに した。
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ちょうど達磨を三つ並べたような恰好で、馬橇は走り出した。
ちょうど<ruby>達磨<rt>だるま</rt></ruby>を<ruby>三<rt>みっ</rt></ruby>つ<ruby>並<rt>なら</rt></ruby>べたような<ruby>恰好<rt>かっこう</rt></ruby>で、<ruby>馬橇<rt>ばそり</rt></ruby>は<ruby>走<rt>はし</rt></ruby>り<ruby>出<rt>だ</rt></ruby>した。
ちょーど だるまを みっつ ならべたよーな かっこーで、 ばそりわ はしりだした。
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