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おはま (慰めかねて言葉もなく、太息をつく)
おはま(<ruby>慰<rt>なぐさ</rt></ruby>めかねて<ruby>言葉<rt>ことば</rt></ruby>もなく、<ruby>太息<rt>ためいき</rt></ruby>をつく)
おはま (なぐさめかねて ことばも なく、 ためいきを つく)
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
お登世 おッかさん。
お<ruby>登世<rt>とせ</rt></ruby>おッかさん。
おとせ おっかさん。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
おはま (涙声で)え。
おはま(<ruby>涙声<rt>なみだごえ</rt></ruby>で)え。
おはま (なみだごえで) え。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
お登世 縁がないってものは、こんなものなのかねえ。
お<ruby>登世<rt>とせ</rt></ruby><ruby>縁<rt>えん</rt></ruby>がないってものは、こんなものなのかねえ。
おとせ えんが ないって ものわ、 こんな ものなのかねえ。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
おはま あたしが、わ、悪かったからだよ。
おはまあたしが、わ、<ruby>悪<rt>わる</rt></ruby>かったからだよ。
おはま あたしが、 わ、 わるかったからだよ。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
忠太郎 (じッと聞いている。
<ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby>(じッと<ruby>聞<rt>き</rt></ruby>いている。
ちゅーたろー (じっと きいて いる。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
情合いよりも、反抗心が強くなっている)
<ruby>情合<rt>じょうあ</rt></ruby>いよりも、<ruby>反抗心<rt>はんこうしん</rt></ruby>が<ruby>強<rt>つよ</rt></ruby>くなっている)
じょーあいよりも、 はんこーしんが つよく なって いる)
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
お登世 何だかこの淋しいところに忠太郎兄さんがいるような気がしてならない。
お<ruby>登世<rt>とせ</rt></ruby><ruby>何<rt>なん</rt></ruby>だかこの<ruby>淋<rt>さび</rt></ruby>しいところに<ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby><ruby>兄<rt>にい</rt></ruby>さんがいるような<ruby>気<rt>き</rt></ruby>がしてならない。
おとせ なんだか この さびしい ところに ちゅーたろー にいさんが いるよーな きが して ならない。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
呼んでみようかしら。
<ruby>呼<rt>よ</rt></ruby>んでみようかしら。
よんで みよーかしら。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
忠太郎兄さん――忠太郎兄さん。
<ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby><ruby>兄<rt>にい</rt></ruby>さん――<ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby><ruby>兄<rt>にい</rt></ruby>さん。
ちゅーたろー にいさん -- ちゅーたろー にいさん。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
おはま (力づいて)忠太。
おはま(<ruby>力<rt>ちから</rt></ruby>づいて)<ruby>忠太<rt>ちゅうた</rt></ruby>。
おはま (ちからづいて) ちゅーた。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
(といいかけて、何処にも答えがないので、見る見る力が抜ける)
(といいかけて、<ruby>何処<rt>どこ</rt></ruby>にも<ruby>答<rt>こた</rt></ruby>えがないので、<ruby>見<rt>み</rt></ruby>る<ruby>見<rt>み</rt></ruby>る<ruby>力<rt>ちから</rt></ruby>が<ruby>抜<rt>ぬ</rt></ruby>ける)
(と いいかけて、 どこにも こたえが ないので、 みるみる ちからが ぬける)
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
お登世 だあれも居ないんだわ。
お<ruby>登世<rt>とせ</rt></ruby>だあれも<ruby>居<rt>い</rt></ruby>ないんだわ。
おとせ だあれも いないんだわ。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
(とぼとぼと歩き出す)
(とぼとぼと<ruby>歩<rt>ある</rt></ruby>き<ruby>出<rt>だ</rt></ruby>す)
(とぼとぼと あるきだす)
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
おはま (悄然として歩き出し、二人共に遂に去る)
おはま(<ruby>悄然<rt>しょうぜん</rt></ruby>として<ruby>歩<rt>ある</rt></ruby>き<ruby>出<rt>だ</rt></ruby>し、<ruby>二人<rt>ふたり</rt></ruby><ruby>共<rt>とも</rt></ruby>に<ruby>遂<rt>つい</rt></ruby>に<ruby>去<rt>さ</rt></ruby>る)
おはま (しょーぜんと して あるきだし、 ふたり ともに ついに さる)
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
忠太郎 ――(母子を見送る。
<ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby>――(<ruby>母子<rt>ははこ</rt></ruby>を<ruby>見送<rt>みおく</rt></ruby>る。
ちゅーたろー -- (ははこを みおくる。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
急にくるりと反対の方に向い歩き出す)俺あ厭だ――厭だ――厭だ――だれが会ってやるものか。
<ruby>急<rt>きゅう</rt></ruby>にくるりと<ruby>反対<rt>はんたい</rt></ruby>の<ruby>方<rt>ほう</rt></ruby>に<ruby>向<rt>むか</rt></ruby>い<ruby>歩<rt>ある</rt></ruby>き<ruby>出<rt>だ</rt></ruby>す)<ruby>俺<rt>おれ</rt></ruby>あ<ruby>厭<rt>いや</rt></ruby>だ――<ruby>厭<rt>いや</rt></ruby>だ――<ruby>厭<rt>いや</rt></ruby>だ――だれが<ruby>会<rt>あ</rt></ruby>ってやるものか。
きゅーに くるりと はんたいの ほーに むかい あるきだす) おれあ いやだ -- いやだ -- いやだ -- だれが あって やる ものか。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
(ひがみと反抗心が募り、母妹の嘆きが却って痛快に感じられる、しかもうしろ髪ひかれる未練が出る)俺あ、こう上下の瞼を合せ、じいッと考えてりゃあ、逢わねえ昔のおッかさんの俤が出てくるんだ――それでいいんだ。
(ひがみと<ruby>反抗心<rt>はんこうしん</rt></ruby>が<ruby>募<rt>つの</rt></ruby>り、<ruby>母<rt>はは</rt></ruby><ruby>妹<rt>いもうと</rt></ruby>の<ruby>嘆<rt>なげ</rt></ruby>きが<ruby>却<rt>かえ</rt></ruby>って<ruby>痛快<rt>つうかい</rt></ruby>に<ruby>感<rt>かん</rt></ruby>じられる、しかもうしろ<ruby>髪<rt>がみ</rt></ruby>ひかれる<ruby>未練<rt>みれん</rt></ruby>が<ruby>出<rt>で</rt></ruby>る)<ruby>俺<rt>おれ</rt></ruby>あ、こう<ruby>上下<rt>じょうげ</rt></ruby>の<ruby>瞼<rt>まぶた</rt></ruby>を<ruby>合<rt>あわ</rt></ruby>せ、じいッと<ruby>考<rt>かんが</rt></ruby>えてりゃあ、<ruby>逢<rt>あ</rt></ruby>わねえ<ruby>昔<rt>むかし</rt></ruby>のおッかさんの<ruby>俤<rt>おもかげ</rt></ruby>が<ruby>出<rt>で</rt></ruby>てくるんだ――それでいいんだ。
(ひがみと はんこーしんが つのり、 はは いもーとの なげきが かえって つーかいに かんじられる、 しかも うしろがみ ひかれる みれんが でる) おれあ、 こー じょーげの まぶたを あわせ、 じいっと かんがえてりゃあ、 あわねえ むかしの おっかさんの おもかげが でて くるんだ -- それで いいんだ。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
(歩く)逢いたくなったら俺あ、眼をつぶろうよ。
(<ruby>歩<rt>ある</rt></ruby>く)<ruby>逢<rt>あ</rt></ruby>いたくなったら<ruby>俺<rt>おれ</rt></ruby>あ、<ruby>眼<rt>め</rt></ruby>をつぶろうよ。
(あるく) あいたく なったら おれあ、 めを つぶろーよ。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
(永久に母子に会うまじと歩く)
(<ruby>永久<rt>えいきゅう</rt></ruby>に<ruby>母子<rt>ははこ</rt></ruby>に<ruby>会<rt>あ</rt></ruby>うまじと<ruby>歩<rt>ある</rt></ruby>く)
(えいきゅーに ははこに あうまじと あるく)
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
金五郎 (忠太郎を殺し、下手人を鳥羽田に塗りつけ、おのれは水熊へ強もてで、入婿になる計画を捨てず、鳥羽田の刀を拾って、忠太郎の隙を伺い、忍び寄り刀を擬し、今や刺さんとする)
<ruby>金五郎<rt>きんごろう</rt></ruby>(<ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby>を<ruby>殺<rt>ころ</rt></ruby>し、<ruby>下手人<rt>げしゅにん</rt></ruby>を<ruby>鳥羽田<rt>とばた</rt></ruby>に<ruby>塗<rt>ぬ</rt></ruby>りつけ、おのれは<ruby>水熊<rt>みずくま</rt></ruby>へ<ruby>強<rt>こわ</rt></ruby>もてで、<ruby>入婿<rt>いりむこ</rt></ruby>になる<ruby>計画<rt>けいかく</rt></ruby>を<ruby>捨<rt>す</rt></ruby>てず、<ruby>鳥羽田<rt>とばた</rt></ruby>の<ruby>刀<rt>かたな</rt></ruby>を<ruby>拾<rt>ひろ</rt></ruby>って、<ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby>の<ruby>隙<rt>すき</rt></ruby>を<ruby>伺<rt>うかが</rt></ruby>い、<ruby>忍<rt>しの</rt></ruby>び<ruby>寄<rt>よ</rt></ruby>り<ruby>刀<rt>かたな</rt></ruby>を<ruby>擬<rt>ぎ</rt></ruby>し、<ruby>今<rt>いま</rt></ruby>や<ruby>刺<rt>さ</rt></ruby>さんとする)
きんごろー (ちゅーたろーを ころし、 げしゅにんを とばたに ぬりつけ、 おのれわ みずくまえ こわもてで、 いりむこに なる けいかくを すてず、 とばたの かたなを ひろって、 ちゅーたろーの すきを うかがい、 しのびより かたなを ぎし、 いまや ささんと する)
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
忠太郎 (心づく)野郎。
<ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby>(<ruby>心<rt>こころ</rt></ruby>づく)<ruby>野郎<rt>やろう</rt></ruby>。
ちゅーたろー (こころづく) やろー。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
(金五郎の退路を塞ぎ、じッと見る)
(<ruby>金五郎<rt>きんごろう</rt></ruby>の<ruby>退路<rt>たいろ</rt></ruby>を<ruby>塞<rt>ふさ</rt></ruby>ぎ、じッと<ruby>見<rt>み</rt></ruby>る)
(きんごろーの たいろを ふさぎ、 じっと みる)
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
金五郎 (棄鉢になり、闘志が旺んになる)
<ruby>金五郎<rt>きんごろう</rt></ruby>(<ruby>棄鉢<rt>すてばち</rt></ruby>になり、<ruby>闘志<rt>とうし</rt></ruby>が<ruby>旺<rt>さか</rt></ruby>んになる)
きんごろー (すてばちに なり、 とーしが さかんに なる)
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
忠太郎 お前の面あ思い出したぜ。
<ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby>お<ruby>前<rt>めえ</rt></ruby>の<ruby>面<rt>つら</rt></ruby>あ<ruby>思<rt>おも</rt></ruby>い<ruby>出<rt>だ</rt></ruby>したぜ。
ちゅーたろー おめえの つらあ おもいだしたぜ。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
(斬る気になり、考え直す)お前、親は。
(<ruby>斬<rt>き</rt></ruby>る<ruby>気<rt>き</rt></ruby>になり、<ruby>考<rt>かんが</rt></ruby>え<ruby>直<rt>なお</rt></ruby>す)お<ruby>前<rt>めえ</rt></ruby>、<ruby>親<rt>おや</rt></ruby>は。
(きる きに なり、 かんがえなおす) おめえ、 おやわ。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
金五郎 (少し呆れて)何だと、親だと、そんなものがあるもんかい。
<ruby>金五郎<rt>きんごろう</rt></ruby>(<ruby>少<rt>すこ</rt></ruby>し<ruby>呆<rt>あき</rt></ruby>れて)<ruby>何<rt>なん</rt></ruby>だと、<ruby>親<rt>おや</rt></ruby>だと、そんなものがあるもんかい。
きんごろー (すこし あきれて) なんだと、 おやだと、 そんな ものが ある もんかい。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
忠太郎 子は。
<ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby><ruby>子<rt>こ</rt></ruby>は。
ちゅーたろー こわ。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
金五郎 無え。
<ruby>金五郎<rt>きんごろう</rt></ruby><ruby>無<rt>ね</rt></ruby>え。
きんごろー ねえ。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
忠太郎 (素早く斬り仆し、血を拭い鞘に納め、斜めの径を歩き、母子の去れる方を振り返りかけてやめる)
<ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby>(<ruby>素早<rt>すばや</rt></ruby>く<ruby>斬<rt>き</rt></ruby>り<ruby>仆<rt>たお</rt></ruby>し、<ruby>血<rt>ち</rt></ruby>を<ruby>拭<rt>ぬぐ</rt></ruby>い<ruby>鞘<rt>さや</rt></ruby>に<ruby>納<rt>おさ</rt></ruby>め、<ruby>斜<rt>なな</rt></ruby>めの<ruby>径<rt>みち</rt></ruby>を<ruby>歩<rt>ある</rt></ruby>き、<ruby>母子<rt>ははこ</rt></ruby>の<ruby>去<rt>さ</rt></ruby>れる<ruby>方<rt>ほう</rt></ruby>を<ruby>振<rt>ふ</rt></ruby>り<ruby>返<rt>かえ</rt></ruby>りかけてやめる)
ちゅーたろー (すばやく きりたおし、 ちを ぬぐい さやに おさめ、 ななめの みちを あるき、 ははこの される ほーを ふりかえりかけて やめる) ≪
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
朝の真赤な光が映す、忠太郎、その光に背いて、股旅の路に踏み出す。
<ruby>朝<rt>あさ</rt></ruby>の<ruby>真赤<rt>まっか</rt></ruby>な<ruby>光<rt>ひかり</rt></ruby>が<ruby>映<rt>さ</rt></ruby>す、<ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby>、その<ruby>光<rt>ひかり</rt></ruby>に<ruby>背<rt>そむ</rt></ruby>いて、<ruby>股旅<rt>またたび</rt></ruby>の<ruby>路<rt>みち</rt></ruby>に<ruby>踏<rt>ふ</rt></ruby>み<ruby>出<rt>だ</rt></ruby>す。
あさの まっかな ひかりが さす、 ちゅーたろー、 その ひかりに そむいて、 またたびの みちに ふみだす。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
船頭歌、遥かに聞える。
<ruby>船頭歌<rt>せんどううた</rt></ruby>、<ruby>遥<rt>はる</rt></ruby>かに<ruby>聞<rt>きこ</rt></ruby>える。
せんどーうた、 はるかに きこえる ≪
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
船頭歌 降ろが照ろうが、風吹くままよ、東行こうと、西行こと。
<ruby>船頭歌<rt>せんどううた</rt></ruby><ruby>降<rt>ふ</rt></ruby>ろが<ruby>照<rt>て</rt></ruby>ろうが、<ruby>風<rt>かぜ</rt></ruby><ruby>吹<rt>ふ</rt></ruby>くままよ、<ruby>東<rt>ひがし</rt></ruby><ruby>行<rt>い</rt></ruby>こうと、<ruby>西<rt>にし</rt></ruby><ruby>行<rt>い</rt></ruby>こと。
せんどーうた ふろが てろーが、 かぜ ふく ままよ、 ひがし いこーと、 にし いこと。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
<ruby>幕<rt>まく</rt></ruby>
まく
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
昭和五年二月作
<ruby>昭和<rt>しょうわ</rt></ruby>五<ruby>年<rt>ねん</rt></ruby>二<ruby>月<rt>がつ</rt></ruby><ruby>作<rt>さく</rt></ruby>
しょーわ 5ねん 2がつ さく
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
『瞼の母』大詰 荒川堤
『<ruby>瞼<rt>まぶた</rt></ruby>の<ruby>母<rt>はは</rt></ruby>』<ruby>大詰<rt>おおづめ</rt></ruby><ruby>荒川堤<rt>あらかわづつみ</rt></ruby>
『まぶたの はは』 おおづめ あらかわづつみ
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
異本(一)
<ruby>異本<rt>いほん</rt></ruby>(一)
いほん (1) ≪
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
金五郎の「何? 親だ? そんなものがあるもんかい」を承けて――。
<ruby>金五郎<rt>きんごろう</rt></ruby>の「<ruby>何<rt>なに</rt></ruby>?<ruby>親<rt>おや</rt></ruby>だ?そんなものがあるもんかい」を<ruby>承<rt>う</rt></ruby>けて――。
きんごろーの 「なに? おやだ? そんな ものが ある もんかい」を うけて -- ≪
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
忠太郎 この野郎、そんなものと吐かしやがる、やい、子はあるか。
<ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby>この<ruby>野郎<rt>やろう</rt></ruby>、そんなものと<ruby>吐<rt>ぬ</rt></ruby>かしやがる、やい、<ruby>子<rt>こ</rt></ruby>はあるか。
ちゅーたろー この やろー、 そんな ものと ぬかしやがる、 やい、 こわ あるか。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
金五郎 子だと、そんな者。
<ruby>金五郎<rt>きんごろう</rt></ruby><ruby>子<rt>こ</rt></ruby>だと、そんな<ruby>者<rt>もの</rt></ruby>。
きんごろー こだと、 そんな もの。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
忠太郎 ねえな。
<ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby>ねえな。
ちゅーたろー ねえな。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
無えんだな。
<ruby>無<rt>ね</rt></ruby>えんだな。
ねえんだな。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
(素早く斬り仆し、血を拭い鞘に納め、母子の去れる方を振り返りかける)
(<ruby>素早<rt>すばや</rt></ruby>く<ruby>斬<rt>き</rt></ruby>り<ruby>仆<rt>たお</rt></ruby>し、<ruby>血<rt>ち</rt></ruby>を<ruby>拭<rt>ぬぐ</rt></ruby>い<ruby>鞘<rt>さや</rt></ruby>に<ruby>納<rt>おさ</rt></ruby>め、<ruby>母子<rt>ははこ</rt></ruby>の<ruby>去<rt>さ</rt></ruby>れる<ruby>方<rt>ほう</rt></ruby>を<ruby>振<rt>ふ</rt></ruby>り<ruby>返<rt>かえ</rt></ruby>りかける)
(すばやく きりたおし、 ちを ぬぐい さやに おさめ、 ははこの される ほーを ふりかえりかける) ≪
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
朝の真赤な光が映す。
<ruby>朝<rt>あさ</rt></ruby>の<ruby>真赤<rt>まっか</rt></ruby>な<ruby>光<rt>ひかり</rt></ruby>が<ruby>映<rt>さ</rt></ruby>す。
あさの まっかな ひかりが さす。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
忠太郎、その光に背いて踏み出し、佇む。
<ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby>、その<ruby>光<rt>ひかり</rt></ruby>に<ruby>背<rt>そむ</rt></ruby>いて<ruby>踏<rt>ふ</rt></ruby>み<ruby>出<rt>だ</rt></ruby>し、<ruby>佇<rt>たたず</rt></ruby>む。
ちゅーたろー、 その ひかりに そむいて ふみだし、 たたずむ。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
船頭歌、遠く聞える。
<ruby>船頭歌<rt>せんどううた</rt></ruby>、<ruby>遠<rt>とお</rt></ruby>く<ruby>聞<rt>きこ</rt></ruby>える。
せんどーうた、 とおく きこえる ≪
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
船頭歌 降ろが照ろうが、風吹くままよ、東行こうと、西、行こと。
<ruby>船頭歌<rt>せんどううた</rt></ruby><ruby>降<rt>ふ</rt></ruby>ろが<ruby>照<rt>て</rt></ruby>ろうが、<ruby>風<rt>かぜ</rt></ruby><ruby>吹<rt>ふ</rt></ruby>くままよ、<ruby>東<rt>ひがし</rt></ruby><ruby>行<rt>い</rt></ruby>こうと、<ruby>西<rt>にし</rt></ruby>、<ruby>行<rt>い</rt></ruby>こと。
せんどーうた ふろが てろーが、 かぜ ふく ままよ、 ひがし いこーと、 にし、 いこと。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
忠太郎 (一たび去ったが、その絶叫が聞える)おッかさあン――。
<ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby>(<ruby>一<rt>ひと</rt></ruby>たび<ruby>去<rt>さ</rt></ruby>ったが、その<ruby>絶叫<rt>ぜっきょう</rt></ruby>が<ruby>聞<rt>きこ</rt></ruby>える)おッかさあン――。
ちゅーたろー (ひとたび さったが、 その ぜっきょーが きこえる) おっかさあん --。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
(駈け来たる)おッかさあン――おッかさあン――おッかさあン。
(<ruby>駈<rt>か</rt></ruby>け<ruby>来<rt>き</rt></ruby>たる)おッかさあン――おッかさあン――おッかさあン。
(かけきたる) おっかさあん -- おっかさあん -- おっかさあん。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
(おはま母子のあとを追う)
(おはま<ruby>母子<rt>ははこ</rt></ruby>のあとを<ruby>追<rt>お</rt></ruby>う)
(おはま ははこの あとを おう)
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
<ruby>幕<rt>まく</rt></ruby>
まく
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
『瞼の母』大詰 荒川堤
『<ruby>瞼<rt>まぶた</rt></ruby>の<ruby>母<rt>はは</rt></ruby>』<ruby>大詰<rt>おおづめ</rt></ruby><ruby>荒川堤<rt>あらかわづつみ</rt></ruby>
『まぶたの はは』 おおづめ あらかわづつみ
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
異本(二)
<ruby>異本<rt>いほん</rt></ruby>(二)
いほん (2)
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
異本(一)の幕切れに、忠太郎の絶叫、「おッかさあン」で駈け戻り、「おッかさあン」と一つ二つ続ける、そのあと――。
<ruby>異本<rt>いほん</rt></ruby>(一)の<ruby>幕切<rt>まくぎ</rt></ruby>れに、<ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby>の<ruby>絶叫<rt>ぜっきょう</rt></ruby>、「おッかさあン」で<ruby>駈<rt>か</rt></ruby>け<ruby>戻<rt>もど</rt></ruby>り、「おッかさあン」と<ruby>一<rt>ひと</rt></ruby>つ<ruby>二<rt>ふた</rt></ruby>つ<ruby>続<rt>つづ</rt></ruby>ける、そのあと――。
≪ いほん (1)の まくぎれに、 ちゅーたろーの ぜっきょー、 「おっかさあん」で かけもどり、 「おっかさあん」と ひとつ ふたつ つづける、 その あと -- ≪
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
おはま・お登世 (呼ぶ声を聞きつけ、引返し来たる)
おはま・お<ruby>登世<rt>とせ</rt></ruby>(<ruby>呼<rt>よ</rt></ruby>ぶ<ruby>声<rt>こえ</rt></ruby>を<ruby>聞<rt>き</rt></ruby>きつけ、<ruby>引返<rt>ひきかえ</rt></ruby>し<ruby>来<rt>き</rt></ruby>たる)
おはま・おとせ (よぶ こえを ききつけ、 ひきかえしきたる)
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
忠太郎 (母・妹の顔をじッと見る)
<ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby>(<ruby>母<rt>はは</rt></ruby>・<ruby>妹<rt>いもうと</rt></ruby>の<ruby>顔<rt>かお</rt></ruby>をじッと<ruby>見<rt>み</rt></ruby>る)
ちゅーたろー (はは・いもーとの かおを じっと みる)
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
おはま (全くの低い声)忠太郎や。
おはま(<ruby>全<rt>まった</rt></ruby>くの<ruby>低<rt>ひく</rt></ruby>い<ruby>声<rt>こえ</rt></ruby>)<ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby>や。
おはま (まったくの ひくい こえ) ちゅーたろーや。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
お登世 (低い声で)兄さん。
お<ruby>登世<rt>とせ</rt></ruby>(<ruby>低<rt>ひく</rt></ruby>い<ruby>声<rt>こえ</rt></ruby>で)<ruby>兄<rt>にい</rt></ruby>さん。
おとせ (ひくい こえで) にいさん。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
忠太郎 (母と妹の方へ、虚無の心になって寄ってゆく)
<ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby>(<ruby>母<rt>はは</rt></ruby>と<ruby>妹<rt>いもうと</rt></ruby>の<ruby>方<rt>ほう</rt></ruby>へ、<ruby>虚無<rt>こむ</rt></ruby>の<ruby>心<rt>こころ</rt></ruby>になって<ruby>寄<rt>よ</rt></ruby>ってゆく)
ちゅーたろー (ははと いもーとの ほーえ、 こむの こころに なって よって ゆく)
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
おはま・お登世 (忠太郎に寄ってゆく)
おはま・お<ruby>登世<rt>とせ</rt></ruby>(<ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby>に<ruby>寄<rt>よ</rt></ruby>ってゆく)
おはま・おとせ (ちゅーたろーに よって ゆく) ≪
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
双方、手を執り合うその以前に。
<ruby>双方<rt>そうほう</rt></ruby>、<ruby>手<rt>て</rt></ruby>を<ruby>執<rt>と</rt></ruby>り<ruby>合<rt>あ</rt></ruby>うその<ruby>以前<rt>いぜん</rt></ruby>に。
そーほー、 てを とりあう その いぜんに ≪
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
<ruby>幕<rt>まく</rt></ruby>
まく
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
『瞼の母』序幕、大詰共に
『<ruby>瞼<rt>まぶた</rt></ruby>の<ruby>母<rt>はは</rt></ruby>』<ruby>序幕<rt>じょまく</rt></ruby>、<ruby>大詰<rt>おおづめ</rt></ruby><ruby>共<rt>とも</rt></ruby>に
『まぶたの はは』 じょまく、 おおづめ ともに
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
異本(三)
<ruby>異本<rt>いほん</rt></ruby>(三)
いほん (3)
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
昭和十二年の七月、北支の蘆溝橋に起った一事件は、その後政府の不拡大方針にもかかわらず、目に見えない大きい歴史の力にひきずられて、漸次中支に波及して行った。
<ruby>昭和<rt>しょうわ</rt></ruby>十二<ruby>年<rt>ねん</rt></ruby>の七<ruby>月<rt>がつ</rt></ruby>、<ruby>北支<rt>ほくし</rt></ruby>の<ruby>蘆溝橋<rt>ろこうきょう</rt></ruby>に<ruby>起<rt>おこ</rt></ruby>った一<ruby>事件<rt>じけん</rt></ruby>は、その<ruby>後<rt>ご</rt></ruby><ruby>政府<rt>せいふ</rt></ruby>の<ruby>不拡大<rt>ふかくだい</rt></ruby><ruby>方針<rt>ほうしん</rt></ruby>にもかかわらず、<ruby>目<rt>め</rt></ruby>に<ruby>見<rt>み</rt></ruby>えない<ruby>大<rt>おお</rt></ruby>きい<ruby>歴史<rt>れきし</rt></ruby>の<ruby>力<rt>ちから</rt></ruby>にひきずられて、<ruby>漸次<rt>ぜんじ</rt></ruby><ruby>中支<rt>ちゅうし</rt></ruby>に<ruby>波及<rt>はきゅう</rt></ruby>して<ruby>行<rt>い</rt></ruby>った。
しょーわ 12ねんの 7がつ、 ほくしの ろこーきょーに おこった 1じけんわ、 そのご せいふの ふかくだい ほーしんにも かかわらず、 めに みえない おおきい れきしの ちからに ひきずられて、 ぜんじ ちゅーしに はきゅー して いった。
中谷宇吉郎/原子爆弾雑話/genshibakudan.txt
そして、十月に上海が陥ち、日本軍が首都|南京に迫るに到って、漸く世界動乱の萌しが見えて来た。
そして、十<ruby>月<rt>がつ</rt></ruby>に<ruby>上海<rt>しゃんはい</rt></ruby>が<ruby>陥<rt>お</rt></ruby>ち、<ruby>日本軍<rt>にほんぐん</rt></ruby>が<ruby>首都<rt>しゅと</rt></ruby><ruby>南京<rt>なんきん</rt></ruby>に<ruby>迫<rt>せま</rt></ruby>るに<ruby>到<rt>いた</rt></ruby>って、<ruby>漸<rt>ようや</rt></ruby>く<ruby>世界<rt>せかい</rt></ruby><ruby>動乱<rt>どうらん</rt></ruby>の<ruby>萌<rt>きざ</rt></ruby>しが<ruby>見<rt>み</rt></ruby>えて<ruby>来<rt>き</rt></ruby>た。
そして、 10がつに しゃんはいが おち、 にほんぐんが しゅと なんきんに せまるに いたって、 よーやく せかい どーらんの きざしが みえて きた。
中谷宇吉郎/原子爆弾雑話/genshibakudan.txt
丁度その頃、私は「弓と鉄砲」という短文を書いたことがある。
<ruby>丁度<rt>ちょうど</rt></ruby>その<ruby>頃<rt>ころ</rt></ruby>、<ruby>私<rt>わたし</rt></ruby>は「<ruby>弓<rt>ゆみ</rt></ruby>と<ruby>鉄砲<rt>てっぽう</rt></ruby>」という<ruby>短文<rt>たんぶん</rt></ruby>を<ruby>書<rt>か</rt></ruby>いたことがある。
ちょーど その ころ、 わたしわ 「ゆみと てっぽー」と いう たんぶんを かいた ことが ある。
中谷宇吉郎/原子爆弾雑話/genshibakudan.txt
切抜帖を開いてみると、それは十二年十一月の『東京朝日』に書いたものである。
<ruby>切抜<rt>きりぬき</rt></ruby><ruby>帖<rt>ちょう</rt></ruby>を<ruby>開<rt>ひら</rt></ruby>いてみると、それは十二<ruby>年<rt>ねん</rt></ruby>十一<ruby>月<rt>がつ</rt></ruby>の『<ruby>東京<rt>とうきょう</rt></ruby><ruby>朝日<rt>あさひ</rt></ruby>』に<ruby>書<rt>か</rt></ruby>いたものである。
きりぬきちょーを ひらいて みると、 それわ 12ねん 11がつの 『とーきょー あさひ』に かいた もので ある。
中谷宇吉郎/原子爆弾雑話/genshibakudan.txt
弓と鉄砲との戦争では鉄砲が勝つであろう。
<ruby>弓<rt>ゆみ</rt></ruby>と<ruby>鉄砲<rt>てっぽう</rt></ruby>との<ruby>戦争<rt>せんそう</rt></ruby>では<ruby>鉄砲<rt>てっぽう</rt></ruby>が<ruby>勝<rt>か</rt></ruby>つであろう。
ゆみと てっぽーとの せんそーでわ てっぽーが かつで あろー。
中谷宇吉郎/原子爆弾雑話/genshibakudan.txt
ところで現代の火器を丁度鉄砲に対する弓くらいの価値に貶してしまうような次の時代の兵器が想像出来るであろうか。
ところで<ruby>現代<rt>げんだい</rt></ruby>の<ruby>火器<rt>かき</rt></ruby>を<ruby>丁度<rt>ちょうど</rt></ruby><ruby>鉄砲<rt>てっぽう</rt></ruby>に<ruby>対<rt>たい</rt></ruby>する<ruby>弓<rt>ゆみ</rt></ruby>くらいの<ruby>価値<rt>かち</rt></ruby>に<ruby>貶<rt>おと</rt></ruby>してしまうような<ruby>次<rt>つぎ</rt></ruby>の<ruby>時代<rt>じだい</rt></ruby>の<ruby>兵器<rt>へいき</rt></ruby>が<ruby>想像<rt>そうぞう</rt></ruby><ruby>出来<rt>でき</rt></ruby>るであろうか。
ところで げんだいの かきを ちょーど てっぽーに たいする ゆみくらいの かちに おとして しまうよーな つぎの じだいの へいきが そーぞー できるで あろーか。
中谷宇吉郎/原子爆弾雑話/genshibakudan.txt
その進歩が行き詰って爆薬の出現となったものであるが、爆薬の方は不安定な化合物の爆発的分解によるもので、勢力の源を分子内に求めている。
その<ruby>進歩<rt>しんぽ</rt></ruby>が<ruby>行<rt>ゆ</rt></ruby>き<ruby>詰<rt>づま</rt></ruby>って<ruby>爆薬<rt>ばくやく</rt></ruby>の<ruby>出現<rt>しゅつげん</rt></ruby>となったものであるが、<ruby>爆薬<rt>ばくやく</rt></ruby>の<ruby>方<rt>ほう</rt></ruby>は<ruby>不安定<rt>ふあんてい</rt></ruby>な<ruby>化合物<rt>かごうぶつ</rt></ruby>の<ruby>爆発的<rt>ばくはつてき</rt></ruby><ruby>分解<rt>ぶんかい</rt></ruby>によるもので、<ruby>勢力<rt>えねるぎー</rt></ruby>の<ruby>源<rt>みなもと</rt></ruby>を<ruby>分子内<rt>ぶんしない</rt></ruby>に<ruby>求<rt>もと</rt></ruby>めている。
その しんぽが ゆきづまって ばくやくの しゅつげんと なった もので あるが、 ばくやくの ほーわ ふあんていな かごーぶつの ばくはつてき ぶんかいに よる もので、 えねるぎーの みなもとを ぶんしないに もとめて いる。
中谷宇吉郎/原子爆弾雑話/genshibakudan.txt
勿論爆薬の方が火薬よりもずっと猛威を逞うする。
<ruby>勿論<rt>もちろん</rt></ruby><ruby>爆薬<rt>ばくやく</rt></ruby>の<ruby>方<rt>ほう</rt></ruby>が<ruby>火薬<rt>かやく</rt></ruby>よりもずっと<ruby>猛威<rt>もうい</rt></ruby>を<ruby>逞<rt>たくましゅ</rt></ruby>うする。
もちろん ばくやくの ほーが かやくよりも ずっと もーいを たくましゅー する。
中谷宇吉郎/原子爆弾雑話/genshibakudan.txt
この順序で行けば、次にこれらと比較にならぬくらいの恐ろしい勢力の源は、原子内に求めることになるであろう。
この<ruby>順序<rt>じゅんじょ</rt></ruby>で<ruby>行<rt>い</rt></ruby>けば、<ruby>次<rt>つぎ</rt></ruby>にこれらと<ruby>比較<rt>ひかく</rt></ruby>にならぬくらいの<ruby>恐<rt>おそ</rt></ruby>ろしい<ruby>勢力<rt>えねるぎー</rt></ruby>の<ruby>源<rt>みなもと</rt></ruby>は、<ruby>原子内<rt>げんしない</rt></ruby>に<ruby>求<rt>もと</rt></ruby>めることになるであろう。
この じゅんじょで いけば、 つぎに これらと ひかくに ならぬくらいの おそろしい えねるぎーの みなもとわ、 げんしないに もとめる ことに なるで あろー。
中谷宇吉郎/原子爆弾雑話/genshibakudan.txt
原子の蔵する勢力は殆んど全部原子核の中にあって、最近の物理学は原子核崩壊の研究にその主流が向いている。
<ruby>原子<rt>げんし</rt></ruby>の<ruby>蔵<rt>ぞう</rt></ruby>する<ruby>勢力<rt>えねるぎー</rt></ruby>は<ruby>殆<rt>ほと</rt></ruby>んど<ruby>全部<rt>ぜんぶ</rt></ruby><ruby>原子核<rt>げんしかく</rt></ruby>の<ruby>中<rt>なか</rt></ruby>にあって、<ruby>最近<rt>さいきん</rt></ruby>の<ruby>物理学<rt>ぶつりがく</rt></ruby>は<ruby>原子核<rt>げんしかく</rt></ruby><ruby>崩壊<rt>ほうかい</rt></ruby>の<ruby>研究<rt>けんきゅう</rt></ruby>にその<ruby>主流<rt>しゅりゅう</rt></ruby>が<ruby>向<rt>む</rt></ruby>いている。
げんしの ぞーする えねるぎーわ ほとんど ぜんぶ げんしかくの なかに あって、 さいきんの ぶつりがくわ げんしかく ほーかいの けんきゅーに その しゅりゅーが むいて いる。
中谷宇吉郎/原子爆弾雑話/genshibakudan.txt
原子核内の勢力が兵器に利用される日が来ない方が人類のためには望ましいのであるが、もし或る一国でそれが実現されたら、それこそ弓と鉄砲どころの騒ぎではなくなるであろう。
<ruby>原子核内<rt>げんしかくない</rt></ruby>の<ruby>勢力<rt>えねるぎー</rt></ruby>が<ruby>兵器<rt>へいき</rt></ruby>に<ruby>利用<rt>りよう</rt></ruby>される<ruby>日<rt>ひ</rt></ruby>が<ruby>来<rt>こ</rt></ruby>ない<ruby>方<rt>ほう</rt></ruby>が<ruby>人類<rt>じんるい</rt></ruby>のためには<ruby>望<rt>のぞ</rt></ruby>ましいのであるが、もし<ruby>或<rt>あ</rt></ruby>る一<ruby>国<rt>こく</rt></ruby>でそれが<ruby>実現<rt>じつげん</rt></ruby>されたら、それこそ<ruby>弓<rt>ゆみ</rt></ruby>と<ruby>鉄砲<rt>てっぽう</rt></ruby>どころの<ruby>騒<rt>さわ</rt></ruby>ぎではなくなるであろう。
げんしかくないの えねるぎーが へいきに りよー される ひが こない ほーが じんるいの ためにわ のぞましいので あるが、 もし ある 1こくで それが じつげん されたら、 それこそ ゆみと てっぽーどころの さわぎでわ なくなるで あろー。
中谷宇吉郎/原子爆弾雑話/genshibakudan.txt
そういう意味で、現代物理学の最|尖端を行く原子論方面の研究は、国防に関聯ある研究所でも一応の関心を持っていて良いであろう。
そういう<ruby>意味<rt>いみ</rt></ruby>で、<ruby>現代<rt>げんだい</rt></ruby><ruby>物理学<rt>ぶつりがく</rt></ruby>の<ruby>最尖端<rt>さいせんたん</rt></ruby>を<ruby>行<rt>い</rt></ruby>く<ruby>原子論<rt>げんしろん</rt></ruby><ruby>方面<rt>ほうめん</rt></ruby>の<ruby>研究<rt>けんきゅう</rt></ruby>は、<ruby>国防<rt>こくぼう</rt></ruby>に<ruby>関聯<rt>かんれん</rt></ruby>ある<ruby>研究所<rt>けんきゅうじょ</rt></ruby>でも<ruby>一応<rt>いちおう</rt></ruby>の<ruby>関心<rt>かんしん</rt></ruby>を<ruby>持<rt>も</rt></ruby>っていて<ruby>良<rt>よ</rt></ruby>いであろう。
そー いう いみで、 げんだい ぶつりがくの さいせんたんを いく げんしろん ほーめんの けんきゅーわ、 こくぼーに かんれん ある けんきゅーじょでも いちおーの かんしんを もって いて よいで あろー。
中谷宇吉郎/原子爆弾雑話/genshibakudan.txt
しかしこの研究には捨て金が大分|要ることは知って置く必要がある。
しかしこの<ruby>研究<rt>けんきゅう</rt></ruby>には<ruby>捨<rt>す</rt></ruby>て<ruby>金<rt>がね</rt></ruby>が<ruby>大分<rt>だいぶ</rt></ruby><ruby>要<rt>い</rt></ruby>ることは<ruby>知<rt>し</rt></ruby>って<ruby>置<rt>お</rt></ruby>く<ruby>必要<rt>ひつよう</rt></ruby>がある。
しかし この けんきゅーにわ すてがねが だいぶ いる ことわ しって おく ひつよーが ある。
中谷宇吉郎/原子爆弾雑話/genshibakudan.txt
剣橋のキャベンディシュ研究所だけでも、六十人ばかりの一流の物理学者が、過去十年間の精神力と経済力とを捨て石として注ぎ込んで、漸く曙光を得たのであるということくらいは覚悟しておく必要がある。
<ruby>剣橋<rt>けんぶりっじ</rt></ruby>のキャベンディシュ<ruby>研究所<rt>けんきゅうじょ</rt></ruby>だけでも、六十<ruby>人<rt>にん</rt></ruby>ばかりの一<ruby>流<rt>りゅう</rt></ruby>の<ruby>物理<rt>ぶつり</rt></ruby><ruby>学者<rt>がくしゃ</rt></ruby>が、<ruby>過去<rt>かこ</rt></ruby>十<ruby>年間<rt>ねんかん</rt></ruby>の<ruby>精神力<rt>せいしんりょく</rt></ruby>と<ruby>経済力<rt>けいざいりょく</rt></ruby>とを<ruby>捨<rt>す</rt></ruby>て<ruby>石<rt>いし</rt></ruby>として<ruby>注<rt>つ</rt></ruby>ぎ<ruby>込<rt>こ</rt></ruby>んで、<ruby>漸<rt>ようや</rt></ruby>く<ruby>曙光<rt>しょこう</rt></ruby>を<ruby>得<rt>え</rt></ruby>たのであるということくらいは<ruby>覚悟<rt>かくご</rt></ruby>しておく<ruby>必要<rt>ひつよう</rt></ruby>がある。
けんぶりっじの きゃべんでぃしゅ けんきゅーじょだけでも、 60にんばかりの 1りゅーの ぶつり がくしゃが、 かこ 10ねんかんの せいしんりょくと けいざいりょくとを すていしと して つぎこんで、 よーやく しょこーを えたので あると いう ことくらいわ かくご して おく ひつよーが ある。
中谷宇吉郎/原子爆弾雑話/genshibakudan.txt
この短文を書いた頃は、今回の原子爆弾の原理であるウラニウムの核分裂などは勿論知られていなかったし、キャベンディシュの連中を主流とした永年にわたる研究も、漸く原子核の人工崩壊の可能性を実験的に確めたという程度であった。
この<ruby>短文<rt>たんぶん</rt></ruby>を<ruby>書<rt>か</rt></ruby>いた<ruby>頃<rt>ころ</rt></ruby>は、<ruby>今回<rt>こんかい</rt></ruby>の<ruby>原子<rt>げんし</rt></ruby><ruby>爆弾<rt>ばくだん</rt></ruby>の<ruby>原理<rt>げんり</rt></ruby>であるウラニウムの<ruby>核分裂<rt>かくぶんれつ</rt></ruby>などは<ruby>勿論<rt>もちろん</rt></ruby><ruby>知<rt>し</rt></ruby>られていなかったし、キャベンディシュの<ruby>連中<rt>れんじゅう</rt></ruby>を<ruby>主流<rt>しゅりゅう</rt></ruby>とした<ruby>永年<rt>ながねん</rt></ruby>にわたる<ruby>研究<rt>けんきゅう</rt></ruby>も、<ruby>漸<rt>ようや</rt></ruby>く<ruby>原子核<rt>げんしかく</rt></ruby>の<ruby>人工<rt>じんこう</rt></ruby><ruby>崩壊<rt>ほうかい</rt></ruby>の<ruby>可能性<rt>かのうせい</rt></ruby>を<ruby>実験的<rt>じっけんてき</rt></ruby>に<ruby>確<rt>たしか</rt></ruby>めたという<ruby>程度<rt>ていど</rt></ruby>であった。
この たんぶんを かいた ころわ、 こんかいの げんし ばくだんの げんりで ある うらにうむの かくぶんれつなどわ もちろん しられて いなかったし、 きゃべんでぃしゅの れんじゅーを しゅりゅーと した ながねんに わたる けんきゅーも、 よーやく げんしかくの じんこー ほーかいの かのーせいを じっけんてきに たしかめたと いう ていどで あった。
中谷宇吉郎/原子爆弾雑話/genshibakudan.txt
しかし現代の方向に発展して来た科学の歴史をふり返ってみると、順序としては次の時代の勢力の源は原子の内部、即ち原子核の中に求めることになると想像するのが一番自然な考え方のように私には思われた。
しかし<ruby>現代<rt>げんだい</rt></ruby>の<ruby>方向<rt>ほうこう</rt></ruby>に<ruby>発展<rt>はってん</rt></ruby>して<ruby>来<rt>き</rt></ruby>た<ruby>科学<rt>かがく</rt></ruby>の<ruby>歴史<rt>れきし</rt></ruby>をふり<ruby>返<rt>かえ</rt></ruby>ってみると、<ruby>順序<rt>じゅんじょ</rt></ruby>としては<ruby>次<rt>つぎ</rt></ruby>の<ruby>時代<rt>じだい</rt></ruby>の<ruby>勢力<rt>えねるぎー</rt></ruby>の<ruby>源<rt>みなもと</rt></ruby>は<ruby>原子<rt>げんし</rt></ruby>の<ruby>内部<rt>ないぶ</rt></ruby>、<ruby>即<rt>すなわ</rt></ruby>ち<ruby>原子核<rt>げんしかく</rt></ruby>の<ruby>中<rt>なか</rt></ruby>に<ruby>求<rt>もと</rt></ruby>めることになると<ruby>想像<rt>そうぞう</rt></ruby>するのが<ruby>一番<rt>いちばん</rt></ruby><ruby>自然<rt>しぜん</rt></ruby>な<ruby>考<rt>かんが</rt></ruby>え<ruby>方<rt>かた</rt></ruby>のように<ruby>私<rt>わたし</rt></ruby>には<ruby>思<rt>おも</rt></ruby>われた。
しかし げんだいの ほーこーに はってん して きた かがくの れきしを ふりかえって みると、 じゅんじょと してわ つぎの じだいの えねるぎーの みなもとわ げんしの ないぶ、 すなわち げんしかくの なかに もとめる ことに なると そーぞー するのが いちばん しぜんな かんがえかたのよーに わたしにわ おもわれた。
中谷宇吉郎/原子爆弾雑話/genshibakudan.txt
分子と分子との結合による火薬、分子の破壊による爆薬、分子の構成要素である原子の崩壊による「原子爆弾」と並べてみて、その順序をつけるのは、勿論人間の頭の中でのことである。
<ruby>分子<rt>ぶんし</rt></ruby>と<ruby>分子<rt>ぶんし</rt></ruby>との<ruby>結合<rt>けつごう</rt></ruby>による<ruby>火薬<rt>かやく</rt></ruby>、<ruby>分子<rt>ぶんし</rt></ruby>の<ruby>破壊<rt>はかい</rt></ruby>による<ruby>爆薬<rt>ばくやく</rt></ruby>、<ruby>分子<rt>ぶんし</rt></ruby>の<ruby>構成<rt>こうせい</rt></ruby><ruby>要素<rt>ようそ</rt></ruby>である<ruby>原子<rt>げんし</rt></ruby>の<ruby>崩壊<rt>ほうかい</rt></ruby>による「<ruby>原子<rt>げんし</rt></ruby><ruby>爆弾<rt>ばくだん</rt></ruby>」と<ruby>並<rt>なら</rt></ruby>べてみて、その<ruby>順序<rt>じゅんじょ</rt></ruby>をつけるのは、<ruby>勿論<rt>もちろん</rt></ruby><ruby>人間<rt>にんげん</rt></ruby>の<ruby>頭<rt>あたま</rt></ruby>の<ruby>中<rt>なか</rt></ruby>でのことである。
ぶんしと ぶんしとの けつごーに よる かやく、 ぶんしの はかいに よる ばくやく、 ぶんしの こーせい よーそで ある げんしの ほーかいに よる 「げんし ばくだん」と ならべて みて、 その じゅんじょを つけるのわ、 もちろん にんげんの あたまの なかでの ことで ある。
中谷宇吉郎/原子爆弾雑話/genshibakudan.txt
ところが本当にその順序の通りが実現するところに、自然科学の恐ろしさがあるのである。
ところが<ruby>本当<rt>ほんとう</rt></ruby>にその<ruby>順序<rt>じゅんじょ</rt></ruby>の<ruby>通<rt>とお</rt></ruby>りが<ruby>実現<rt>じつげん</rt></ruby>するところに、<ruby>自然<rt>しぜん</rt></ruby><ruby>科学<rt>かがく</rt></ruby>の<ruby>恐<rt>おそ</rt></ruby>ろしさがあるのである。
ところが ほんとーに その じゅんじょの とおりが じつげん する ところに、 しぜん かがくの おそろしさが あるので ある。
中谷宇吉郎/原子爆弾雑話/genshibakudan.txt
この短文を書いた頃の二、三年前、私は二、三の国防関係の要路の人に会った時に、こういう意味のことを話したことがある。
この<ruby>短文<rt>たんぶん</rt></ruby>を<ruby>書<rt>か</rt></ruby>いた<ruby>頃<rt>ころ</rt></ruby>の二、三<ruby>年<rt>ねん</rt></ruby><ruby>前<rt>まえ</rt></ruby>、<ruby>私<rt>わたし</rt></ruby>は二、三の<ruby>国防<rt>こくぼう</rt></ruby><ruby>関係<rt>かんけい</rt></ruby>の<ruby>要路<rt>ようろ</rt></ruby>の<ruby>人<rt>ひと</rt></ruby>に<ruby>会<rt>あ</rt></ruby>った<ruby>時<rt>とき</rt></ruby>に、こういう<ruby>意味<rt>いみ</rt></ruby>のことを<ruby>話<rt>はな</rt></ruby>したことがある。
この たんぶんを かいた ころの 23ねん まえ、 わたしわ 23の こくぼー かんけいの よーろの ひとに あった ときに、 こー いう いみの ことを はなした ことが ある。
中谷宇吉郎/原子爆弾雑話/genshibakudan.txt
勿論|我国でもこの時代に既に理研の仁科博士の下や、阪大の菊池教授の所で、原子物理学関係の実験が開始されていたので、そういう方面からも進言があったことであろう。
<ruby>勿論<rt>もちろん</rt></ruby><ruby>我<rt>わが</rt></ruby><ruby>国<rt>くに</rt></ruby>でもこの<ruby>時代<rt>じだい</rt></ruby>に<ruby>既<rt>すで</rt></ruby>に<ruby>理研<rt>りけん</rt></ruby>の<ruby>仁科<rt>にしな</rt></ruby><ruby>博士<rt>はくし</rt></ruby>の<ruby>下<rt>もと</rt></ruby>や、<ruby>阪大<rt>はんだい</rt></ruby>の<ruby>菊池<rt>きくち</rt></ruby><ruby>教授<rt>きょうじゅ</rt></ruby>の<ruby>所<rt>ところ</rt></ruby>で、<ruby>原子<rt>げんし</rt></ruby><ruby>物理学<rt>ぶつりがく</rt></ruby><ruby>関係<rt>かんけい</rt></ruby>の<ruby>実験<rt>じっけん</rt></ruby>が<ruby>開始<rt>かいし</rt></ruby>されていたので、そういう<ruby>方面<rt>ほうめん</rt></ruby>からも<ruby>進言<rt>しんげん</rt></ruby>があったことであろう。
もちろん わが くにでも この じだいに すでに りけんの にしな はくしの もとや、 はんだいの きくち きょーじゅの ところで、 げんし ぶつりがく かんけいの じっけんが かいし されて いたので、 そー いう ほーめんからも しんげんが あった ことで あろー。
中谷宇吉郎/原子爆弾雑話/genshibakudan.txt
しかし何十年か先のことで、しかも果して兵器として実用化されるかどうかもまるで見当のつかない話を、本気で取り上げてくれる人はなかった。
しかし<ruby>何<rt>なん</rt></ruby>十<ruby>年<rt>ねん</rt></ruby>か<ruby>先<rt>さき</rt></ruby>のことで、しかも<ruby>果<rt>はた</rt></ruby>して<ruby>兵器<rt>へいき</rt></ruby>として<ruby>実用化<rt>じつようか</rt></ruby>されるかどうかもまるで<ruby>見当<rt>けんとう</rt></ruby>のつかない<ruby>話<rt>はなし</rt></ruby>を、<ruby>本気<rt>ほんき</rt></ruby>で<ruby>取<rt>と</rt></ruby>り<ruby>上<rt>あ</rt></ruby>げてくれる<ruby>人<rt>ひと</rt></ruby>はなかった。
しかし なん10ねんか さきの ことで、 しかも はたして へいきと して じつよーか されるか どーかも まるで けんとーの つかない はなしを、 ほんきで とりあげて くれる ひとわ なかった。
中谷宇吉郎/原子爆弾雑話/genshibakudan.txt
やれば出来るに決っていることをやるのを研究と称することになっていた我国の習慣では、それも致し方ないことであった。
やれば<ruby>出来<rt>でき</rt></ruby>るに<ruby>決<rt>きま</rt></ruby>っていることをやるのを<ruby>研究<rt>けんきゅう</rt></ruby>と<ruby>称<rt>しょう</rt></ruby>することになっていた<ruby>我<rt>わが</rt></ruby><ruby>国<rt>くに</rt></ruby>の<ruby>習慣<rt>しゅうかん</rt></ruby>では、それも<ruby>致<rt>いた</rt></ruby>し<ruby>方<rt>かた</rt></ruby>ないことであった。
やれば できるに きまって いる ことを やるのを けんきゅーと しょーする ことに なって いた わが くにの しゅーかんでわ、 それも いたしかた ない ことで あった。
中谷宇吉郎/原子爆弾雑話/genshibakudan.txt
ところが、当時海軍の某研究所長であった或る将官が、真面目にこの問題に興味を持たれて、一つ自分の研究所でそれに着手してみたいがという相談があった。
ところが、<ruby>当時<rt>とうじ</rt></ruby><ruby>海軍<rt>かいぐん</rt></ruby>の<ruby>某<rt>ぼう</rt></ruby><ruby>研究所長<rt>けんきゅうじょちょう</rt></ruby>であった<ruby>或<rt>あ</rt></ruby>る<ruby>将官<rt>しょうかん</rt></ruby>が、<ruby>真面目<rt>まじめ</rt></ruby>にこの<ruby>問題<rt>もんだい</rt></ruby>に<ruby>興味<rt>きょうみ</rt></ruby>を<ruby>持<rt>も</rt></ruby>たれて、<ruby>一<rt>ひと</rt></ruby>つ<ruby>自分<rt>じぶん</rt></ruby>の<ruby>研究所<rt>けんきゅうじょ</rt></ruby>でそれに<ruby>着手<rt>ちゃくしゅ</rt></ruby>してみたいがという<ruby>相談<rt>そうだん</rt></ruby>があった。
ところが、 とーじ かいぐんの ぼー けんきゅーじょちょーで あった ある しょーかんが、 まじめに この もんだいに きょーみを もたれて、 ひとつ じぶんの けんきゅーじょで それに ちゃくしゅ して みたいがと いう そーだんが あった。
中谷宇吉郎/原子爆弾雑話/genshibakudan.txt
理研や阪大の方に立派なその方面の専門家が沢山おられるのに、何も私などが出る必要はないのであるが、話をした責任上とにかく相談にはあずかることになった。
<ruby>理研<rt>りけん</rt></ruby>や<ruby>阪大<rt>はんだい</rt></ruby>の<ruby>方<rt>ほう</rt></ruby>に<ruby>立派<rt>りっぱ</rt></ruby>なその<ruby>方面<rt>ほうめん</rt></ruby>の<ruby>専門家<rt>せんもんか</rt></ruby>が<ruby>沢山<rt>たくさん</rt></ruby>おられるのに、<ruby>何<rt>なに</rt></ruby>も<ruby>私<rt>わたし</rt></ruby>などが<ruby>出<rt>で</rt></ruby>る<ruby>必要<rt>ひつよう</rt></ruby>はないのであるが、<ruby>話<rt>はなし</rt></ruby>をした<ruby>責任上<rt>せきにんじょう</rt></ruby>とにかく<ruby>相談<rt>そうだん</rt></ruby>にはあずかることになった。
りけんや はんだいの ほーに りっぱな その ほーめんの せんもんかが たくさん おられるのに、 なにも わたしなどが でる ひつよーわ ないので あるが、 はなしを した せきにんじょー とにかく そーだんにわ あずかる ことに なった。
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今から考えてみれば、あの時それだけの研究費を、既に原子物理学方面の実験を開始している専門家たちの方へ廻してもらった方が、進歩が速かったことであろう。
<ruby>今<rt>いま</rt></ruby>から<ruby>考<rt>かんが</rt></ruby>えてみれば、あの<ruby>時<rt>とき</rt></ruby>それだけの<ruby>研究費<rt>けんきゅうひ</rt></ruby>を、<ruby>既<rt>すで</rt></ruby>に<ruby>原子<rt>げんし</rt></ruby><ruby>物理学<rt>ぶつりがく</rt></ruby><ruby>方面<rt>ほうめん</rt></ruby>の<ruby>実験<rt>じっけん</rt></ruby>を<ruby>開始<rt>かいし</rt></ruby>している<ruby>専門家<rt>せんもんか</rt></ruby>たちの<ruby>方<rt>ほう</rt></ruby>へ<ruby>廻<rt>まわ</rt></ruby>してもらった<ruby>方<rt>ほう</rt></ruby>が、<ruby>進歩<rt>しんぽ</rt></ruby>が<ruby>速<rt>はや</rt></ruby>かったことであろう。
いまから かんがえて みれば、 あの とき それだけの けんきゅーひを、 すでに げんし ぶつりがく ほーめんの じっけんを かいし して いる せんもんかたちの ほーえ まわして もらった ほーが、 しんぽが はやかった ことで あろー。
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しかし何万円という研究費を毎年出すとなると、やはりその研究所の中で仕事をしなければならないというのが、当時の実情であった。
しかし<ruby>何万円<rt>なんまんえん</rt></ruby>という<ruby>研究費<rt>けんきゅうひ</rt></ruby>を<ruby>毎年<rt>まいとし</rt></ruby><ruby>出<rt>だ</rt></ruby>すとなると、やはりその<ruby>研究所<rt>けんきゅうじょ</rt></ruby>の<ruby>中<rt>なか</rt></ruby>で<ruby>仕事<rt>しごと</rt></ruby>をしなければならないというのが、<ruby>当時<rt>とうじ</rt></ruby>の<ruby>実情<rt>じつじょう</rt></ruby>であった。
しかし なんまんえんと いう けんきゅーひを まいとし だすと なると、 やはり その けんきゅーじょの なかで しごとを しなければ ならないと いうのが、 とーじの じつじょーで あった。
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何万円というのは、その研究所としてもかなり多額と考えられていた時代のことである。
<ruby>何万円<rt>なんまんえん</rt></ruby>というのは、その<ruby>研究所<rt>けんきゅうじょ</rt></ruby>としてもかなり<ruby>多額<rt>たがく</rt></ruby>と<ruby>考<rt>かんが</rt></ruby>えられていた<ruby>時代<rt>じだい</rt></ruby>のことである。
なんまんえんと いうのわ、 その けんきゅーじょと しても かなり たがくと かんがえられて いた じだいの ことで ある。
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当時私の教室では、原子物理学の研究によく使われる或る装置を使って、電気火花の研究をしていた。
<ruby>当時<rt>とうじ</rt></ruby><ruby>私<rt>わたし</rt></ruby>の<ruby>教室<rt>きょうしつ</rt></ruby>では、<ruby>原子<rt>げんし</rt></ruby><ruby>物理学<rt>ぶつりがく</rt></ruby>の<ruby>研究<rt>けんきゅう</rt></ruby>によく<ruby>使<rt>つか</rt></ruby>われる<ruby>或<rt>あ</rt></ruby>る<ruby>装置<rt>そうち</rt></ruby>を<ruby>使<rt>つか</rt></ruby>って、<ruby>電気<rt>でんき</rt></ruby><ruby>火花<rt>ひばな</rt></ruby>の<ruby>研究<rt>けんきゅう</rt></ruby>をしていた。
とーじ わたしの きょーしつでわ、 げんし ぶつりがくの けんきゅーに よく つかわれる ある そーちを つかって、 でんき ひばなの けんきゅーを して いた。
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それで実験技術としては満更縁のない話でもないので、私の所の講師のT君が私の方を辞めて、その研究所へはいって、専心その方面の仕事を始めることになった。
それで<ruby>実験<rt>じっけん</rt></ruby><ruby>技術<rt>ぎじゅつ</rt></ruby>としては<ruby>満更<rt>まんざら</rt></ruby><ruby>縁<rt>えん</rt></ruby>のない<ruby>話<rt>はなし</rt></ruby>でもないので、<ruby>私<rt>わたし</rt></ruby>の<ruby>所<rt>ところ</rt></ruby>の<ruby>講師<rt>こうし</rt></ruby>のT<ruby>君<rt>くん</rt></ruby>が<ruby>私<rt>わたし</rt></ruby>の<ruby>方<rt>ほう</rt></ruby>を<ruby>辞<rt>や</rt></ruby>めて、その<ruby>研究所<rt>けんきゅうじょ</rt></ruby>へはいって、<ruby>専心<rt>せんしん</rt></ruby>その<ruby>方面<rt>ほうめん</rt></ruby>の<ruby>仕事<rt>しごと</rt></ruby>を<ruby>始<rt>はじ</rt></ruby>めることになった。
それで じっけん ぎじゅつと してわ まんざら えんの ない はなしでも ないので、 わたしの ところの こーしの T くんが わたしの ほーを やめて、 その けんきゅーじょえ はいって、 せんしん その ほーめんの しごとを はじめる ことに なった。
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もっともこれは随分無理な話で、英米の世界一流の学者が集まって、金に飽かし鎬を削って研究している方面へT君が一人ではいって行って、その向うが張れるはずはない。
もっともこれは<ruby>随分<rt>ずいぶん</rt></ruby><ruby>無理<rt>むり</rt></ruby>な<ruby>話<rt>はなし</rt></ruby>で、<ruby>英米<rt>えいべい</rt></ruby>の<ruby>世界<rt>せかい</rt></ruby>一<ruby>流<rt>りゅう</rt></ruby>の<ruby>学者<rt>がくしゃ</rt></ruby>が<ruby>集<rt>あつ</rt></ruby>まって、<ruby>金<rt>かね</rt></ruby>に<ruby>飽<rt>あ</rt></ruby>かし<ruby>鎬<rt>しのぎ</rt></ruby>を<ruby>削<rt>けず</rt></ruby>って<ruby>研究<rt>けんきゅう</rt></ruby>している<ruby>方面<rt>ほうめん</rt></ruby>へT<ruby>君<rt>くん</rt></ruby>が<ruby>一人<rt>ひとり</rt></ruby>ではいって<ruby>行<rt>い</rt></ruby>って、その<ruby>向<rt>むこ</rt></ruby>うが<ruby>張<rt>は</rt></ruby>れるはずはない。
もっとも これわ ずいぶん むりな はなしで、 えいべいの せかい 1りゅーの がくしゃが あつまって、 かねに あかし しのぎを けずって けんきゅー して いる ほーめんえ T くんが ひとりで はいって いって、 その むこーが はれる はずわ ない。
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それでこういう条件をつけることにした。
それでこういう<ruby>条件<rt>じょうけん</rt></ruby>をつけることにした。
それで こー いう じょーけんを つける ことに した。
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それは、もともと無理な話であるから、初めから英米の学者と太刀打をさせるつもりでなく、先方の研究の発表を待って、その中の本筋の実験を拾って、こちらでそっくりその真似をさせてもらいたいというのである。
それは、もともと<ruby>無理<rt>むり</rt></ruby>な<ruby>話<rt>はなし</rt></ruby>であるから、<ruby>初<rt>はじ</rt></ruby>めから<ruby>英米<rt>えいべい</rt></ruby>の<ruby>学者<rt>がくしゃ</rt></ruby>と<ruby>太刀打<rt>たちうち</rt></ruby>をさせるつもりでなく、<ruby>先方<rt>せんぽう</rt></ruby>の<ruby>研究<rt>けんきゅう</rt></ruby>の<ruby>発表<rt>はっぴょう</rt></ruby>を<ruby>待<rt>ま</rt></ruby>って、その<ruby>中<rt>なか</rt></ruby>の<ruby>本筋<rt>ほんすじ</rt></ruby>の<ruby>実験<rt>じっけん</rt></ruby>を<ruby>拾<rt>ひろ</rt></ruby>って、こちらでそっくりその<ruby>真似<rt>まね</rt></ruby>をさせてもらいたいというのである。
それわ、 もともと むりな はなしで あるから、 はじめから えいべいの がくしゃと たちうちを させる つもりで なく、 せんぽーの けんきゅーの はっぴょーを まって、 その なかの ほんすじの じっけんを ひろって、 こちらで そっくり その まねを させて もらいたいと いうので ある。
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随分卑屈な話のようであるが、それが巧く行って、英米の研究にいつでも一歩遅れた状態で追随して行けたら大成功である。
<ruby>随分<rt>ずいぶん</rt></ruby><ruby>卑屈<rt>ひくつ</rt></ruby>な<ruby>話<rt>はなし</rt></ruby>のようであるが、それが<ruby>巧<rt>うま</rt></ruby>く<ruby>行<rt>い</rt></ruby>って、<ruby>英米<rt>えいべい</rt></ruby>の<ruby>研究<rt>けんきゅう</rt></ruby>にいつでも一<ruby>歩<rt>ぽ</rt></ruby><ruby>遅<rt>おく</rt></ruby>れた<ruby>状態<rt>じょうたい</rt></ruby>で<ruby>追随<rt>ついずい</rt></ruby>して<ruby>行<rt>い</rt></ruby>けたら<ruby>大成功<rt>だいせいこう</rt></ruby>である。
ずいぶん ひくつな はなしのよーで あるが、 それが うまく いって、 えいべいの けんきゅーに いつでも 1ぽ おくれた じょーたいで ついずい して いけたら だいせいこーで ある。
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そうなっていれば、先方で原子核勢力の利用が実用化した時には、こちらでも比較的楽にその実用化にとりかかれるはずである。
そうなっていれば、<ruby>先方<rt>せんぽう</rt></ruby>で<ruby>原子核<rt>げんしかく</rt></ruby><ruby>勢力<rt>えねるぎー</rt></ruby>の<ruby>利用<rt>りよう</rt></ruby>が<ruby>実用化<rt>じつようか</rt></ruby>した<ruby>時<rt>とき</rt></ruby>には、こちらでも<ruby>比較的<rt>ひかくてき</rt></ruby><ruby>楽<rt>らく</rt></ruby>にその<ruby>実用化<rt>じつようか</rt></ruby>にとりかかれるはずである。
そー なって いれば、 せんぽーで げんしかく えねるぎーの りよーが じつよーか した ときにわ、 こちらでも ひかくてき らくに その じつよーかに とりかかれる はずで ある。
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原子兵器の出現に遭ってから、慌ててその方面に関係した器械を註文するというのでは仕様がない。
<ruby>原子<rt>げんし</rt></ruby><ruby>兵器<rt>へいき</rt></ruby>の<ruby>出現<rt>しゅつげん</rt></ruby>に<ruby>遭<rt>あ</rt></ruby>ってから、<ruby>慌<rt>あわ</rt></ruby>ててその<ruby>方面<rt>ほうめん</rt></ruby>に<ruby>関係<rt>かんけい</rt></ruby>した<ruby>器械<rt>きかい</rt></ruby>を<ruby>註文<rt>ちゅうもん</rt></ruby>するというのでは<ruby>仕様<rt>しよう</rt></ruby>がない。
げんし へいきの しゅつげんに あってから、 あわてて その ほーめんに かんけい した きかいを ちゅーもん すると いうのでわ しよーが ない。
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しかしそれに類したことが、実際にしばしば起っているのである。
しかしそれに<ruby>類<rt>るい</rt></ruby>したことが、<ruby>実際<rt>じっさい</rt></ruby>にしばしば<ruby>起<rt>おこ</rt></ruby>っているのである。
しかし それに るいした ことが、 じっさいに しばしば おこって いるので ある。
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