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無躾とは重々存じながら、それが承わりてえのでござんす。 | <ruby>無躾<rt>ぶしつけ</rt></ruby>とは<ruby>重々<rt>じゅうじゅう</rt></ruby><ruby>存<rt>ぞん</rt></ruby>じながら、それが<ruby>承<rt>うけたま</rt></ruby>わりてえのでござんす。 | ぶしつけとわ じゅーじゅー ぞんじながら、 それが うけたまわりてえので ござんす。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
おはま (びくりとする、答えない) | おはま(びくりとする、<ruby>答<rt>こた</rt></ruby>えない) | おはま (びくりと する、 こたえない) | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
忠太郎 あッおかみさんは憶えがあるんだ(思わず膝を進め)顔に出たその愕きが――ところは江州阪田の郡、醒が井から南へ一里、磨針峠の山の宿場で番場という処がござんす。 | <ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby>あッおかみさんは<ruby>憶<rt>おぼ</rt></ruby>えがあるんだ(<ruby>思<rt>おも</rt></ruby>わず<ruby>膝<rt>ひざ</rt></ruby>を<ruby>進<rt>すす</rt></ruby>め)<ruby>顔<rt>かお</rt></ruby>に<ruby>出<rt>で</rt></ruby>たその<ruby>愕<rt>おどろ</rt></ruby>きが――ところは<ruby>江州<rt>ごうしゅう</rt></ruby><ruby>阪田<rt>さかた</rt></ruby>の<ruby>郡<rt>こおり</rt></ruby>、<ruby>醒<rt>さめ</rt></ruby>が<ruby>井<rt>い</rt></ruby>から<ruby>南<rt>みなみ</rt></ruby>へ一<ruby>里<rt>り</rt></ruby>、<ruby>磨針<rt>すりはり</rt></ruby><ruby>峠<rt>とうげ</rt></ruby>の<ruby>山<rt>やま</rt></ruby>の<ruby>宿場<rt>しゅくば</rt></ruby>で<ruby>番場<rt>ばんば</rt></ruby>という<ruby>処<rt>ところ</rt></ruby>がござんす。 | ちゅーたろー あっ おかみさんわ おぼえが あるんだ (おもわず ひざを すすめ) かおに でた その おどろきが -- ところわ ごーしゅー さかたの こおり、 さめがいから みなみえ 1り、 すりはり とーげの やまの しゅくばで ばんばと いう ところが ござんす。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
(おはまの答えを待つ) | (おはまの<ruby>答<rt>こた</rt></ruby>えを<ruby>待<rt>ま</rt></ruby>つ) | (おはまの こたえを まつ) | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
おはま (憶えはあれど、忠太郎の風采に危惧を感じ、打算が鋭くはたらく)番場宿なら知ってますとも、それがどうしたというのだね。 | おはま(<ruby>憶<rt>おぼ</rt></ruby>えはあれど、<ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby>の<ruby>風采<rt>ふうさい</rt></ruby>に<ruby>危惧<rt>きぐ</rt></ruby>を<ruby>感<rt>かん</rt></ruby>じ、<ruby>打算<rt>ださん</rt></ruby>が<ruby>鋭<rt>するど</rt></ruby>くはたらく)<ruby>番場宿<rt>ばんばじゅく</rt></ruby>なら<ruby>知<rt>し</rt></ruby>ってますとも、それがどうしたというのだね。 | おはま (おぼえわ あれど、 ちゅーたろーの ふーさいに きぐを かんじ、 ださんが するどく はたらく) ばんばじゅくなら しってますとも、 それが どー したと いうのだね。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
忠太郎 え? (意外な返事を怪しむ)おきなが屋忠兵衛という、六代つづいた旅籠屋をご存じでござんすか。 | <ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby>え?(<ruby>意外<rt>いがい</rt></ruby>な<ruby>返事<rt>へんじ</rt></ruby>を<ruby>怪<rt>あや</rt></ruby>しむ)おきなが<ruby>屋<rt>や</rt></ruby><ruby>忠兵衛<rt>ちゅうべえ</rt></ruby>という、六<ruby>代<rt>だい</rt></ruby>つづいた<ruby>旅籠屋<rt>はたごや</rt></ruby>をご<ruby>存<rt>ぞん</rt></ruby>じでござんすか。 | ちゅーたろー え? (いがいな へんじを あやしむ) おきながや ちゅーべえと いう、 6だい つづいた はたごやを ごぞんじで ござんすか。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
おはま ああ知っている段か、あたしが若い時にかたづいたことがある。 | おはまああ<ruby>知<rt>し</rt></ruby>っている<ruby>段<rt>だん</rt></ruby>か、あたしが<ruby>若<rt>わか</rt></ruby>い<ruby>時<rt>とき</rt></ruby>にかたづいたことがある。 | おはま ああ しって いる だんか、 あたしが わかい ときに かたづいた ことが ある。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
忠太郎 (自制しきれずに)おッかさん。 | <ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby>(<ruby>自制<rt>じせい</rt></ruby>しきれずに)おッかさん。 | ちゅーたろー (じせい しきれずに) おっかさん。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
おはま 何だいこの人は、変な真似をおしでない。 | おはま<ruby>何<rt>なん</rt></ruby>だいこの<ruby>人<rt>ひと</rt></ruby>は、<ruby>変<rt>へん</rt></ruby>な<ruby>真似<rt>まね</rt></ruby>をおしでない。 | おはま なんだい この ひとわ、 へんな まねを おしで ない。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
忠太郎 (感情を挫かれて)ご免なさい、無躾でござんした。 | <ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby>(<ruby>感情<rt>かんじょう</rt></ruby>を<ruby>挫<rt>くじ</rt></ruby>かれて)ご<ruby>免<rt>めん</rt></ruby>なさい、<ruby>無躾<rt>ぶしつけ</rt></ruby>でござんした。 | ちゅーたろー (かんじょーを くじかれて) ごめん なさい、 ぶしつけで ござんした。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
おはま お前さんは一体だれだね。 | おはまお<ruby>前<rt>まえ</rt></ruby>さんは<ruby>一体<rt>いったい</rt></ruby>だれだね。 | おはま おまえさんわ いったい だれだね。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
忠太郎 忠太郎でござんす。 | <ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby><ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby>でござんす。 | ちゅーたろー ちゅーたろーで ござんす。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
おはま (じッと見て)何をいうんだ。 | おはま(じッと<ruby>見<rt>み</rt></ruby>て)<ruby>何<rt>なに</rt></ruby>をいうんだ。 | おはま (じっと みて) なにを いうんだ。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
忠太郎だって?――あたしには生き別れをした忠太郎という子はあったが、今ではもう亡くなった。 | <ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby>だって?――あたしには<ruby>生<rt>い</rt></ruby>き<ruby>別<rt>わか</rt></ruby>れをした<ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby>という<ruby>子<rt>こ</rt></ruby>はあったが、<ruby>今<rt>いま</rt></ruby>ではもう<ruby>亡<rt>な</rt></ruby>くなった。 | ちゅーたろーだって? -- あたしにわ いきわかれを した ちゅーたろーと いう こわ あったが、 いまでわ もー なくなった。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
忠太郎 えッ無え。 | <ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby>えッ<ruby>無<rt>ね</rt></ruby>え。 | ちゅーたろー えっ ねえ。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
無えのでござんすか――五つの時に縁が切れて二十余年。 | <ruby>無<rt>ね</rt></ruby>えのでござんすか――<ruby>五<rt>いつ</rt></ruby>つの<ruby>時<rt>とき</rt></ruby>に<ruby>縁<rt>えん</rt></ruby>が<ruby>切<rt>き</rt></ruby>れて二十<ruby>余年<rt>よねん</rt></ruby>。 | ねえので ござんすか -- いつつの ときに えんが きれて 20よねん。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
もうちッとで満三十年だ。 | もうちッとで<ruby>満<rt>まん</rt></ruby>三十<ruby>年<rt>ねん</rt></ruby>だ。 | もー ちっとで まん 30ねんだ。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
その間音信不通で互いに生き死にさえ知らずにいた仲だから、そんな子はねえという気になっているのでござんすか、縁は切れても血は繋がる。 | その<ruby>間<rt>あいだ</rt></ruby><ruby>音信<rt>おんしん</rt></ruby><ruby>不通<rt>ふつう</rt></ruby>で<ruby>互<rt>たが</rt></ruby>いに<ruby>生<rt>い</rt></ruby>き<ruby>死<rt>し</rt></ruby>にさえ<ruby>知<rt>し</rt></ruby>らずにいた<ruby>仲<rt>なか</rt></ruby>だから、そんな<ruby>子<rt>こ</rt></ruby>はねえという<ruby>気<rt>き</rt></ruby>になっているのでござんすか、<ruby>縁<rt>えん</rt></ruby>は<ruby>切<rt>き</rt></ruby>れても<ruby>血<rt>ち</rt></ruby>は<ruby>繋<rt>つな</rt></ruby>がる。 | その あいだ おんしん ふつーで たがいに いきしにさえ しらずに いた なかだから、 そんな こわ ねえと いう きに なって いるので ござんすか、 えんわ きれても ちわ つながる。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
切って切れねえ母子の間は、眼に見えねえが結びついて、互いの一生を離れやしねえ、あッしは江州番場宿のおきなが屋の倅、忠太郎でござんすおッかさん。 | <ruby>切<rt>き</rt></ruby>って<ruby>切<rt>き</rt></ruby>れねえ<ruby>母子<rt>ははこ</rt></ruby>の<ruby>間<rt>あいだ</rt></ruby>は、<ruby>眼<rt>め</rt></ruby>に<ruby>見<rt>み</rt></ruby>えねえが<ruby>結<rt>むす</rt></ruby>びついて、<ruby>互<rt>たが</rt></ruby>いの<ruby>一生<rt>いっしょう</rt></ruby>を<ruby>離<rt>はな</rt></ruby>れやしねえ、あッしは<ruby>江州<rt>ごうしゅう</rt></ruby><ruby>番場宿<rt>ばんばじゅく</rt></ruby>のおきなが<ruby>屋<rt>や</rt></ruby>の<ruby>倅<rt>せがれ</rt></ruby>、<ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby>でござんすおッかさん。 | きって きれねえ ははこの あいだわ、 めに みえねえが むすびついて、 たがいの いっしょーを はなれや しねえ、 あっしわ ごーしゅー ばんばじゅくの おきながやの せがれ、 ちゅーたろーで ござんす おっかさん。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
おはま お待ちお待ち。 | おはまお<ruby>待<rt>ま</rt></ruby>ちお<ruby>待<rt>ま</rt></ruby>ち。 | おはま おまち おまち。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
お前さん、大層よく番場のことを知っているが、いくらあたしにそんな話をしたって駄目だよ。 | お<ruby>前<rt>まえ</rt></ruby>さん、<ruby>大層<rt>たいそう</rt></ruby>よく<ruby>番場<rt>ばんば</rt></ruby>のことを<ruby>知<rt>し</rt></ruby>っているが、いくらあたしにそんな<ruby>話<rt>はなし</rt></ruby>をしたって<ruby>駄目<rt>だめ</rt></ruby>だよ。 | おまえさん、 たいそー よく ばんばの ことを しって いるが、 いくら あたしに そんな はなしを したって だめだよ。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
忠太郎 えッ。 | <ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby>えッ。 | ちゅーたろー えっ。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
おはま 成程あたしは美濃の加納の叔父の世話で、番場のおきなが屋へ嫁に行き、忠太郎という子を生んだよ。 | おはま<ruby>成程<rt>なるほど</rt></ruby>あたしは<ruby>美濃<rt>みの</rt></ruby>の<ruby>加納<rt>かのう</rt></ruby>の<ruby>叔父<rt>おじ</rt></ruby>の<ruby>世話<rt>せわ</rt></ruby>で、<ruby>番場<rt>ばんば</rt></ruby>のおきなが<ruby>屋<rt>や</rt></ruby>へ<ruby>嫁<rt>よめ</rt></ruby>に<ruby>行<rt>い</rt></ruby>き、<ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby>という<ruby>子<rt>こ</rt></ruby>を<ruby>生<rt>う</rt></ruby>んだよ。 | おはま なるほど あたしわ みのの かのーの おじの せわで、 ばんばの おきながやえ よめに いき、 ちゅーたろーと いう こを うんだよ。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
忠太郎 その忠太郎があッしなん――。 | <ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby>その<ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby>があッしなん――。 | ちゅーたろー その ちゅーたろーが あっしなん --。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
おはま よくお聞きというんだ。 | おはまよくお<ruby>聞<rt>き</rt></ruby>きというんだ。 | おはま よく おききと いうんだ。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
その子が五ツになった時、あたしゃおきなが屋を出てしまったんだ。 | その<ruby>子<rt>こ</rt></ruby>が<ruby>五<rt>いつ</rt></ruby>ツになった<ruby>時<rt>とき</rt></ruby>、あたしゃおきなが<ruby>屋<rt>や</rt></ruby>を<ruby>出<rt>で</rt></ruby>てしまったんだ。 | その こが いつつに なった とき、 あたしゃ おきながやを でて しまったんだ。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
(涙ぐむ) | (<ruby>涙<rt>なみだ</rt></ruby>ぐむ) | (なみだぐむ) | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
忠太郎 おやじはあッしが十二の時、病って死にましたから、直に聞いた訳ではねえが、おッかさんが家を出なさる時、おやじの身持ちがよくなかった、罪はおやじにあったのだと、大きくなってから聞いております。 | <ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby>おやじはあッしが十二の<ruby>時<rt>とき</rt></ruby>、<ruby>病<rt>わずら</rt></ruby>って<ruby>死<rt>し</rt></ruby>にましたから、<ruby>直<rt>じか</rt></ruby>に<ruby>聞<rt>き</rt></ruby>いた<ruby>訳<rt>わけ</rt></ruby>ではねえが、おッかさんが<ruby>家<rt>うち</rt></ruby>を<ruby>出<rt>で</rt></ruby>なさる<ruby>時<rt>とき</rt></ruby>、おやじの<ruby>身持<rt>みも</rt></ruby>ちがよくなかった、<ruby>罪<rt>つみ</rt></ruby>はおやじにあったのだと、<ruby>大<rt>おお</rt></ruby>きくなってから<ruby>聞<rt>き</rt></ruby>いております。 | ちゅーたろー おやじわ あっしが 12の とき、 わずらって しにましたから、 じかに きいた わけでわ ねえが、 おっかさんが うちを でなさる とき、 おやじの みもちが よく なかった、 つみわ おやじに あったのだと、 おおきく なってから きいて おります。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
おはま 可愛い子があるのだもの、去り状をとりたくないのが本心だったが、行きがかりが妙にコジれ、とうとうあたしは縁が切れた――その後つづいて永い間、江戸の空の下から江州は、あっちの方かと朝に晩に、見えもしない雲の下の番場の方を見て泣き暮したっけ。 | おはま<ruby>可愛<rt>かわい</rt></ruby>い<ruby>子<rt>こ</rt></ruby>があるのだもの、<ruby>去<rt>さ</rt></ruby>り<ruby>状<rt>じょう</rt></ruby>をとりたくないのが<ruby>本心<rt>ほんしん</rt></ruby>だったが、<ruby>行<rt>ゆ</rt></ruby>きがかりが<ruby>妙<rt>みょう</rt></ruby>にコジれ、とうとうあたしは<ruby>縁<rt>えん</rt></ruby>が<ruby>切<rt>き</rt></ruby>れた――その<ruby>後<rt>ご</rt></ruby>つづいて<ruby>永<rt>なが</rt></ruby>い<ruby>間<rt>あいだ</rt></ruby>、<ruby>江戸<rt>えど</rt></ruby>の<ruby>空<rt>そら</rt></ruby>の<ruby>下<rt>した</rt></ruby>から<ruby>江州<rt>ごうしゅう</rt></ruby>は、あっちの<ruby>方<rt>ほう</rt></ruby>かと<ruby>朝<rt>あさ</rt></ruby>に<ruby>晩<rt>ばん</rt></ruby>に、<ruby>見<rt>み</rt></ruby>えもしない<ruby>雲<rt>くも</rt></ruby>の<ruby>下<rt>した</rt></ruby>の<ruby>番場<rt>ばんば</rt></ruby>の<ruby>方<rt>ほう</rt></ruby>を<ruby>見<rt>み</rt></ruby>て<ruby>泣<rt>な</rt></ruby>き<ruby>暮<rt>くら</rt></ruby>したっけ。 | おはま かわいい こが あるのだもの、 さりじょーを とりたく ないのが ほんしんだったが、 ゆきがかりが みょーに こじれ、 とーとー あたしわ えんが きれた -- そのご つづいて ながい あいだ、 えどの そらの したから ごーしゅーわ、 あっちの ほーかと あさに ばんに、 みえも しない くもの したの ばんばの ほーを みて なきくらしたっけ。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
忠太郎 五つといえばちッたあ物も判ろうに、生みの母の俤を、思い出そうと気ばかり逸るが、顔にとんと憶えがねえ。 | <ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby><ruby>五<rt>いつ</rt></ruby>つといえばちッたあ<ruby>物<rt>もの</rt></ruby>も<ruby>判<rt>わか</rt></ruby>ろうに、<ruby>生<rt>う</rt></ruby>みの<ruby>母<rt>はは</rt></ruby>の<ruby>俤<rt>おもかげ</rt></ruby>を、<ruby>思<rt>おも</rt></ruby>い<ruby>出<rt>だ</rt></ruby>そうと<ruby>気<rt>き</rt></ruby>ばかり<ruby>逸<rt>はや</rt></ruby>るが、<ruby>顔<rt>かお</rt></ruby>にとんと<ruby>憶<rt>おぼ</rt></ruby>えがねえ。 | ちゅーたろー いつつと いえば ちったあ ものも わかろーに、 うみの ははの おもかげを、 おもいだそーと きばかり はやるが、 かおに とんと おぼえが ねえ。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
何て馬鹿な生れつきだと、自分を悔んで永え間、雲を掴むと同じように、手がかりなしで探している中に、おッかさんあッしも三十を越しましてござんす。 | <ruby>何<rt>なん</rt></ruby>て<ruby>馬鹿<rt>ばか</rt></ruby>な<ruby>生<rt>うま</rt></ruby>れつきだと、<ruby>自分<rt>じぶん</rt></ruby>を<ruby>悔<rt>くや</rt></ruby>んで<ruby>永<rt>なげ</rt></ruby>え<ruby>間<rt>あいだ</rt></ruby>、<ruby>雲<rt>くも</rt></ruby>を<ruby>掴<rt>つか</rt></ruby>むと<ruby>同<rt>おな</rt></ruby>じように、<ruby>手<rt>て</rt></ruby>がかりなしで<ruby>探<rt>さが</rt></ruby>している<ruby>中<rt>なか</rt></ruby>に、おッかさんあッしも三十を<ruby>越<rt>こ</rt></ruby>しましてござんす。 | なんて ばかな うまれつきだと、 じぶんを くやんで なげえ あいだ、 くもを つかむと おなじよーに、 てがかり なしで さがして いる なかに、 おっかさん あっしも 30を こしまして ござんす。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
おはま お黙り。 | おはまお<ruby>黙<rt>だま</rt></ruby>り。 | おはま おだまり。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
お前はあたしの生みの子とは違っているよ。 | お<ruby>前<rt>まえ</rt></ruby>はあたしの<ruby>生<rt>う</rt></ruby>みの<ruby>子<rt>こ</rt></ruby>とは<ruby>違<rt>ちが</rt></ruby>っているよ。 | おまえわ あたしの うみの ことわ ちがって いるよ。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
何をいい加減なことをいってくるのだ。 | <ruby>何<rt>なに</rt></ruby>をいい<ruby>加減<rt>かげん</rt></ruby>なことをいってくるのだ。 | なにを いいかげんな ことを いって くるのだ。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
忠太郎 えッ、ち、違ってる。 | <ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby>えッ、ち、<ruby>違<rt>ちが</rt></ruby>ってる。 | ちゅーたろー えっ、 ち、 ちがってる。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
あッしが忠太郎じゃねえのでござんすか。 | あッしが<ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby>じゃねえのでござんすか。 | あっしが ちゅーたろーじゃ ねえので ござんすか。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
おはま 名前は忠太郎かも知れないよ。 | おはま<ruby>名前<rt>なまえ</rt></ruby>は<ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby>かも<ruby>知<rt>し</rt></ruby>れないよ。 | おはま なまえわ ちゅーたろーかも しれないよ。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
生れた処も江州の番場宿か知らないが。 | <ruby>生<rt>うま</rt></ruby>れた<ruby>処<rt>ところ</rt></ruby>も<ruby>江州<rt>ごうしゅう</rt></ruby>の<ruby>番場宿<rt>ばんばじゅく</rt></ruby>か<ruby>知<rt>し</rt></ruby>らないが。 | うまれた ところも ごーしゅーの ばんばじゅくか しらないが。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
忠太郎 じゃ矢ッ張りあッしは。 | <ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby>じゃ<ruby>矢<rt>や</rt></ruby>ッ<ruby>張<rt>ぱ</rt></ruby>りあッしは。 | ちゅーたろー じゃ やっぱり あっしわ。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
おはま 傍へくるな図々しい奴だ。 | おはま<ruby>傍<rt>そば</rt></ruby>へくるな<ruby>図々<rt>ずうずう</rt></ruby>しい<ruby>奴<rt>やつ</rt></ruby>だ。 | おはま そばえ くるな ずーずーしい やつだ。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
あたしの子の忠太郎は、九ツの時、はやり病で死んでしまったと聞いている。 | あたしの<ruby>子<rt>こ</rt></ruby>の<ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby>は、<ruby>九<rt>ここの</rt></ruby>ツの<ruby>時<rt>とき</rt></ruby>、はやり<ruby>病<rt>やまい</rt></ruby>で<ruby>死<rt>し</rt></ruby>んでしまったと<ruby>聞<rt>き</rt></ruby>いている。 | あたしの この ちゅーたろーわ、 ここのつの とき、 はやり やまいで しんで しまったと きいて いる。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
死んだ子の年を数える親心で、生きていたらあの子も今年三十二、いや一だったと、ゆうべも夜中に眼がさめて思い出していたくらいだ。 | <ruby>死<rt>し</rt></ruby>んだ<ruby>子<rt>こ</rt></ruby>の<ruby>年<rt>とし</rt></ruby>を<ruby>数<rt>かぞ</rt></ruby>える<ruby>親心<rt>おやごころ</rt></ruby>で、<ruby>生<rt>い</rt></ruby>きていたらあの<ruby>子<rt>こ</rt></ruby>も<ruby>今年<rt>ことし</rt></ruby>三十二、いや一だったと、ゆうべも<ruby>夜中<rt>よなか</rt></ruby>に<ruby>眼<rt>め</rt></ruby>がさめて<ruby>思<rt>おも</rt></ruby>い<ruby>出<rt>だ</rt></ruby>していたくらいだ。 | しんだ この としを かぞえる おやごころで、 いきて いたら あの こも ことし 32、 いや 1だったと、 ゆーべも よなかに めが さめて おもいだして いたくらいだ。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
お前がいくら何といっても、生みの母のあたしが見て、そうじゃないと思うのだもの。 | お<ruby>前<rt>まえ</rt></ruby>がいくら<ruby>何<rt>なん</rt></ruby>といっても、<ruby>生<rt>う</rt></ruby>みの<ruby>母<rt>はは</rt></ruby>のあたしが<ruby>見<rt>み</rt></ruby>て、そうじゃないと<ruby>思<rt>おも</rt></ruby>うのだもの。 | おまえが いくら なんと いっても、 うみの ははの あたしが みて、 そーじゃ ないと おもうのだもの。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
お帰り。 | お<ruby>帰<rt>かえ</rt></ruby>り。 | おかえり。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
さッさと帰った方がためなんだよ。 | さッさと<ruby>帰<rt>かえ</rt></ruby>った<ruby>方<rt>ほう</rt></ruby>がためなんだよ。 | さっさと かえった ほーが ためなんだよ。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
忠太郎 九ツの時に死にはぐったことは、正にあッしも憶えています。 | <ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby><ruby>九<rt>ここの</rt></ruby>ツの<ruby>時<rt>とき</rt></ruby>に<ruby>死<rt>し</rt></ruby>にはぐったことは、<ruby>正<rt>まさ</rt></ruby>にあッしも<ruby>憶<rt>おぼ</rt></ruby>えています。 | ちゅーたろー ここのつの ときに しにはぐった ことわ、 まさに あっしも おぼえて います。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
死んだというのは間違いで、忠太郎はこの通り、生きています。 | <ruby>死<rt>し</rt></ruby>んだというのは<ruby>間違<rt>まちが</rt></ruby>いで、<ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby>はこの<ruby>通<rt>とお</rt></ruby>り、<ruby>生<rt>い</rt></ruby>きています。 | しんだと いうのわ まちがいで、 ちゅーたろーわ この とおり、 いきて います。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
おはま そんな手で這い込みはしないがいい。 | おはまそんな<ruby>手<rt>て</rt></ruby>で<ruby>這<rt>は</rt></ruby>い<ruby>込<rt>こ</rt></ruby>みはしないがいい。 | おはま そんな てで はいこみわ しないが いい。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
忠太郎 這い込み。 | <ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby><ruby>這<rt>は</rt></ruby>い<ruby>込<rt>こ</rt></ruby>み。 | ちゅーたろー はいこみ。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
そうか、あっしを銭貰いだと思うのでござんすか。 | そうか、あっしを<ruby>銭貰<rt>ぜにもら</rt></ruby>いだと<ruby>思<rt>おも</rt></ruby>うのでござんすか。 | そーか、 あっしを ぜにもらいだと おもうので ござんすか。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
おはま それでなくて何だい。 | おはまそれでなくて<ruby>何<rt>なん</rt></ruby>だい。 | おはま それで なくて なんだい。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
忠太郎 違う違う違います。 | <ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby><ruby>違<rt>ちが</rt></ruby>う<ruby>違<rt>ちが</rt></ruby>う<ruby>違<rt>ちが</rt></ruby>います。 | ちゅーたろー ちがう ちがう ちがいます。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
銭金づくで名乗って来たのじゃござんせん。 | <ruby>銭金<rt>ぜにかね</rt></ruby>づくで<ruby>名乗<rt>なの</rt></ruby>って<ruby>来<rt>き</rt></ruby>たのじゃござんせん。 | ぜにかねづくで なのって きたのじゃ ござんせん。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
シガねえ姿はしていても、忠太郎は不自由はしてねえのでござんす。 | シガねえ<ruby>姿<rt>すがた</rt></ruby>はしていても、<ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby>は<ruby>不自由<rt>ふじゆう</rt></ruby>はしてねえのでござんす。 | しがねえ すがたわ して いても、 ちゅーたろーわ ふじゆーわ して ねえので ござんす。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
(胴巻を出し百両を前に)顔も知らねえ母親に、縁があって邂逅って、ゆたかに暮していればいいが、もしひょッと貧乏に苦しんででも居るのだったら、手土産代りと心がけて、何があっても手を付けず、この百両は永えこと、抱いてぬくめて来たのでござんす。 | (<ruby>胴巻<rt>どうまき</rt></ruby>を<ruby>出<rt>だ</rt></ruby>し百<ruby>両<rt>りょう</rt></ruby>を<ruby>前<rt>まえ</rt></ruby>に)<ruby>顔<rt>かお</rt></ruby>も<ruby>知<rt>し</rt></ruby>らねえ<ruby>母親<rt>ははおや</rt></ruby>に、<ruby>縁<rt>えん</rt></ruby>があって<ruby>邂逅<rt>めぐりあ</rt></ruby>って、ゆたかに<ruby>暮<rt>くら</rt></ruby>していればいいが、もしひょッと<ruby>貧乏<rt>びんぼう</rt></ruby>に<ruby>苦<rt>くる</rt></ruby>しんででも<ruby>居<rt>い</rt></ruby>るのだったら、<ruby>手土産代<rt>てみやげがわ</rt></ruby>りと<ruby>心<rt>こころ</rt></ruby>がけて、<ruby>何<rt>なに</rt></ruby>があっても<ruby>手<rt>て</rt></ruby>を<ruby>付<rt>つ</rt></ruby>けず、この百<ruby>両<rt>りょう</rt></ruby>は<ruby>永<rt>なげ</rt></ruby>えこと、<ruby>抱<rt>だ</rt></ruby>いてぬくめて<ruby>来<rt>き</rt></ruby>たのでござんす。 | (どーまきを だし 100りょーを まえに) かおも しらねえ ははおやに、 えんが あって めぐりあって、 ゆたかに くらして いれば いいが、 もし ひょっと びんぼーに くるしんででも いるのだったら、 てみやげがわりと こころがけて、 なにが あっても てを つけず、 この 100りょーわ なげえ こと、 だいて ぬくめて きたので ござんす。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
見れば立派な大世帯、使っている人の数も夥しい料理茶屋の女主人におッかさんはなってるのかと、さっきからあッしは安心していたが、金が溜っているだけに、何かにつけて用心深く、現在の子を捉まえても疑ってみる気になりてえのか、おッかさんそりゃあ怨みだ、あッしは怨みますよ。 | <ruby>見<rt>み</rt></ruby>れば<ruby>立派<rt>りっぱ</rt></ruby>な<ruby>大世帯<rt>おおせたい</rt></ruby>、<ruby>使<rt>つか</rt></ruby>っている<ruby>人<rt>ひと</rt></ruby>の<ruby>数<rt>かず</rt></ruby>も<ruby>夥<rt>おびただ</rt></ruby>しい<ruby>料理茶屋<rt>りょうりぢゃや</rt></ruby>の<ruby>女<rt>おんな</rt></ruby><ruby>主人<rt>しゅじん</rt></ruby>におッかさんはなってるのかと、さっきからあッしは<ruby>安心<rt>あんしん</rt></ruby>していたが、<ruby>金<rt>かね</rt></ruby>が<ruby>溜<rt>たま</rt></ruby>っているだけに、<ruby>何<rt>なに</rt></ruby>かにつけて<ruby>用心深<rt>ようじんぶか</rt></ruby>く、<ruby>現在<rt>げんざい</rt></ruby>の<ruby>子<rt>こ</rt></ruby>を<ruby>捉<rt>つか</rt></ruby>まえても<ruby>疑<rt>うたが</rt></ruby>ってみる<ruby>気<rt>き</rt></ruby>になりてえのか、おッかさんそりゃあ<ruby>怨<rt>うら</rt></ruby>みだ、あッしは<ruby>怨<rt>うら</rt></ruby>みますよ。 | みれば りっぱな おおせたい、 つかって いる ひとの かずも おびただしい りょーりぢゃやの おんな しゅじんに おっかさんわ なってるのかと、 さっきから あっしわ あんしん して いたが、 かねが たまって いるだけに、 なにかに つけて よーじんぶかく、 げんざいの こを つかまえても うたがって みる きに なりてえのか、 おっかさん そりゃあ うらみだ、 あっしわ うらみますよ。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
おはま 怨むのは此方の方だ。 | おはま<ruby>怨<rt>うら</rt></ruby>むのは<ruby>此方<rt>こっち</rt></ruby>の<ruby>方<rt>ほう</rt></ruby>だ。 | おはま うらむのわ こっちの ほーだ。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
娘をたよりに楽しみに、毎日毎日面白く、暮している処へひょッくりと、飛んでもない男が出て来て、死んだ筈の忠太郎が生きています私ですと。 | <ruby>娘<rt>むすめ</rt></ruby>をたよりに<ruby>楽<rt>たの</rt></ruby>しみに、<ruby>毎日<rt>まいにち</rt></ruby><ruby>毎日<rt>まいにち</rt></ruby><ruby>面白<rt>おもしろ</rt></ruby>く、<ruby>暮<rt>くら</rt></ruby>している<ruby>処<rt>ところ</rt></ruby>へひょッくりと、<ruby>飛<rt>と</rt></ruby>んでもない<ruby>男<rt>おとこ</rt></ruby>が<ruby>出<rt>で</rt></ruby>て<ruby>来<rt>き</rt></ruby>て、<ruby>死<rt>し</rt></ruby>んだ<ruby>筈<rt>はず</rt></ruby>の<ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby>が<ruby>生<rt>い</rt></ruby>きています<ruby>私<rt>わたし</rt></ruby>ですと。 | むすめを たよりに たのしみに、 まいにち まいにち おもしろく、 くらして いる ところえ ひょっくりと、 とんでもない おとこが でて きて、 しんだ はずの ちゅーたろーが いきて います わたしですと。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
お前、家の中へ波風を立てに来たんだ。 | お<ruby>前<rt>まえ</rt></ruby>、<ruby>家<rt>うち</rt></ruby>の<ruby>中<rt>なか</rt></ruby>へ<ruby>波風<rt>なみかぜ</rt></ruby>を<ruby>立<rt>た</rt></ruby>てに<ruby>来<rt>き</rt></ruby>たんだ。 | おまえ、 うちの なかえ なみかぜを たてに きたんだ。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
忠太郎 そ、そりゃ非道いやおッかさん。 | <ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby>そ、そりゃ<ruby>非道<rt>ひど</rt></ruby>いやおッかさん。 | ちゅーたろー そ、 そりゃ ひどいや おっかさん。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
おはま また、おッかさんなんて云うのか。 | おはままた、おッかさんなんて<ruby>云<rt>い</rt></ruby>うのか。 | おはま また、 おっかさんなんて いうのか。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
忠太郎 おッかさんに違えねえのでござんす。 | <ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby>おッかさんに<ruby>違<rt>ちげ</rt></ruby>えねえのでござんす。 | ちゅーたろー おっかさんに ちげえ ねえので ござんす。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
おはま お前の心はわかっているよ。 | おはまお<ruby>前<rt>まえ</rt></ruby>の<ruby>心<rt>こころ</rt></ruby>はわかっているよ。 | おはま おまえの こころわ わかって いるよ。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
忠太郎と名乗って出て、お登世へ譲る水熊の身代に眼をつけて、半分貰う魂胆なんだ。 | <ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby>と<ruby>名乗<rt>なの</rt></ruby>って<ruby>出<rt>で</rt></ruby>て、お<ruby>登世<rt>とせ</rt></ruby>へ<ruby>譲<rt>ゆず</rt></ruby>る<ruby>水熊<rt>みずくま</rt></ruby>の<ruby>身代<rt>しんだい</rt></ruby>に<ruby>眼<rt>め</rt></ruby>をつけて、<ruby>半分<rt>はんぶん</rt></ruby><ruby>貰<rt>もら</rt></ruby>う<ruby>魂胆<rt>こんたん</rt></ruby>なんだ。 | ちゅーたろーと なのって でて、 おとせえ ゆずる みずくまの しんだいに めを つけて、 はんぶん もらう こんたんなんだ。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
忠太郎 ええッ。 | <ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby>ええッ。 | ちゅーたろー ええっ。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
おはま 世間の表も裏も、さんざん見て来たあたしに、そのくらいの事が判らないでどうするものか。 | おはま<ruby>世間<rt>せけん</rt></ruby>の<ruby>表<rt>おもて</rt></ruby>も<ruby>裏<rt>うら</rt></ruby>も、さんざん<ruby>見<rt>み</rt></ruby>て<ruby>来<rt>き</rt></ruby>たあたしに、そのくらいの<ruby>事<rt>こと</rt></ruby>が<ruby>判<rt>わか</rt></ruby>らないでどうするものか。 | おはま せけんの おもても うらも、 さんざん みて きた あたしに、 そのくらいの ことが わからないで どー する ものか。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
忠太郎 (咽び泣く) | <ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby>(<ruby>咽<rt>むせ</rt></ruby>び<ruby>泣<rt>な</rt></ruby>く) | ちゅーたろー (むせびなく) | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
おはま (じッと忠太郎を瞶める) | おはま(じッと<ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby>を<ruby>瞶<rt>みつ</rt></ruby>める) | おはま (じっと ちゅーたろーを みつめる) | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
忠太郎 (涙を拭うと決然と態度が一変する)おかみさん。 | <ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby>(<ruby>涙<rt>なみだ</rt></ruby>を<ruby>拭<rt>ぬぐ</rt></ruby>うと<ruby>決然<rt>けつぜん</rt></ruby>と<ruby>態度<rt>たいど</rt></ruby>が<ruby>一変<rt>いっぺん</rt></ruby>する)おかみさん。 | ちゅーたろー (なみだを ぬぐうと けつぜんと たいどが いっぺん する) おかみさん。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
もう一度更めて念を押しますでござんす。 | もう一<ruby>度<rt>ど</rt></ruby><ruby>更<rt>あらた</rt></ruby>めて<ruby>念<rt>ねん</rt></ruby>を<ruby>押<rt>お</rt></ruby>しますでござんす。 | もー 1ど あらためて ねんを おしますで ござんす。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
江州番場宿の忠太郎という者に憶えはねえんでござんすね。 | <ruby>江州<rt>ごうしゅう</rt></ruby><ruby>番場宿<rt>ばんばじゅく</rt></ruby>の<ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby>という<ruby>者<rt>もの</rt></ruby>に<ruby>憶<rt>おぼ</rt></ruby>えはねえんでござんすね。 | ごーしゅー ばんばじゅくの ちゅーたろーと いう ものに おぼえわ ねえんで ござんすね。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
おかみさんの生みの子の忠太郎はあッしじゃねえと仰有るのでござんすね。 | おかみさんの<ruby>生<rt>う</rt></ruby>みの<ruby>子<rt>こ</rt></ruby>の<ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby>はあッしじゃねえと<ruby>仰有<rt>おっしゃ</rt></ruby>るのでござんすね。 | おかみさんの うみの この ちゅーたろーわ あっしじゃ ねえと おっしゃるので ござんすね。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
あたしにゃ男の子があったけれと、もう死んだと聞いているし、この心の中でも永い間死んだと思って来たのだから、今更、その子が生き返って来ても嬉しいとは思えないんだよ。 | あたしにゃ<ruby>男<rt>おとこ</rt></ruby>の<ruby>子<rt>こ</rt></ruby>があったけれと、もう<ruby>死<rt>し</rt></ruby>んだと<ruby>聞<rt>き</rt></ruby>いているし、この<ruby>心<rt>こころ</rt></ruby>の<ruby>中<rt>なか</rt></ruby>でも<ruby>永<rt>なが</rt></ruby>い<ruby>間<rt>あいだ</rt></ruby><ruby>死<rt>し</rt></ruby>んだと<ruby>思<rt>おも</rt></ruby>って<ruby>来<rt>き</rt></ruby>たのだから、<ruby>今更<rt>いまさら</rt></ruby>、その<ruby>子<rt>こ</rt></ruby>が<ruby>生<rt>い</rt></ruby>き<ruby>返<rt>かえ</rt></ruby>って<ruby>来<rt>き</rt></ruby>ても<ruby>嬉<rt>うれ</rt></ruby>しいとは<ruby>思<rt>おも</rt></ruby>えないんだよ。 | あたしにゃ おとこのこが あったけれど、 もー しんだと きいて いるし、 この こころの なかでも ながい あいだ しんだと おもって きたのだから、 いまさら、 その こが いきかえって きても うれしいとわ おもえないんだよ。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
忠太郎 別れて永え永え年月を、別ッ個に暮してくると、こんなにまで双方の心に開きが出来るものか。 | <ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby><ruby>別<rt>わか</rt></ruby>れて<ruby>永<rt>なげ</rt></ruby>え<ruby>永<rt>なげ</rt></ruby>え<ruby>年月<rt>としつき</rt></ruby>を、<ruby>別<rt>べ</rt></ruby>ッ<ruby>個<rt>こ</rt></ruby>に<ruby>暮<rt>くら</rt></ruby>してくると、こんなにまで<ruby>双方<rt>そうほう</rt></ruby>の<ruby>心<rt>こころ</rt></ruby>に<ruby>開<rt>ひら</rt></ruby>きが<ruby>出来<rt>でき</rt></ruby>るものか。 | ちゅーたろー わかれて なげえ なげえ としつきを、 べっこに くらして くると、 こんなにまで そーほーの こころに ひらきが できる ものか。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
親の心子知らずとは、よく人がいう奴だが、俺にゃその諺が逆様で、これ程慕う子の心が、親の心には通じねえのだ。 | <ruby>親<rt>おや</rt></ruby>の<ruby>心<rt>こころ</rt></ruby><ruby>子<rt>こ</rt></ruby><ruby>知<rt>し</rt></ruby>らずとは、よく<ruby>人<rt>ひと</rt></ruby>がいう<ruby>奴<rt>やつ</rt></ruby>だが、<ruby>俺<rt>おれ</rt></ruby>にゃその<ruby>諺<rt>ことわざ</rt></ruby>が<ruby>逆様<rt>さかさま</rt></ruby>で、これ<ruby>程<rt>ほど</rt></ruby><ruby>慕<rt>した</rt></ruby>う<ruby>子<rt>こ</rt></ruby>の<ruby>心<rt>こころ</rt></ruby>が、<ruby>親<rt>おや</rt></ruby>の<ruby>心<rt>こころ</rt></ruby>には<ruby>通<rt>つう</rt></ruby>じねえのだ。 | おやの こころ こ しらずとわ、 よく ひとが いう やつだが、 おれにゃ その ことわざが さかさまで、 これほど したう この こころが、 おやの こころにわ つーじねえのだ。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
おはま 忠太郎さん。 | おはま<ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby>さん。 | おはま ちゅーたろー さん。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
忠太郎 何でござんす。 | <ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby><ruby>何<rt>なん</rt></ruby>でござんす。 | ちゅーたろー なんで ござんす。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
おはま もしあたしが母親だといったら、お前さんどうおしだ。 | おはまもしあたしが<ruby>母親<rt>ははおや</rt></ruby>だといったら、お<ruby>前<rt>まえ</rt></ruby>さんどうおしだ。 | おはま もし あたしが ははおやだと いったら、 おまえさん どー おしだ。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
忠太郎 それを聞いてどうするんでござんす。 | <ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby>それを<ruby>聞<rt>き</rt></ruby>いてどうするんでござんす。 | ちゅーたろー それを きいて どー するんで ござんす。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
あっしには判っている。 | あっしには<ruby>判<rt>わか</rt></ruby>っている。 | あっしにわ わかって いる。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
おかみさんは今穏かに暮しているのが楽しいのだ。 | おかみさんは<ruby>今<rt>いま</rt></ruby><ruby>穏<rt>おだや</rt></ruby>かに<ruby>暮<rt>くら</rt></ruby>しているのが<ruby>楽<rt>たの</rt></ruby>しいのだ。 | おかみさんわ いま おだやかに くらして いるのが たのしいのだ。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
その穏かさ楽しさに、水も油も差して貰いたくねえ――そうなんだ判ってらあ。 | その<ruby>穏<rt>おだや</rt></ruby>かさ<ruby>楽<rt>たの</rt></ruby>しさに、<ruby>水<rt>みず</rt></ruby>も<ruby>油<rt>あぶら</rt></ruby>も<ruby>差<rt>さ</rt></ruby>して<ruby>貰<rt>もら</rt></ruby>いたくねえ――そうなんだ<ruby>判<rt>わか</rt></ruby>ってらあ。 | その おだやかさ たのしさに、 みずも あぶらも さして もらいたく ねえ -- そーなんだ わかってらあ。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
小三十年も前のことあ、とうに忘れた夢なんだろう。 | <ruby>小<rt>こ</rt></ruby>三十<ruby>年<rt>ねん</rt></ruby>も<ruby>前<rt>まえ</rt></ruby>のことあ、とうに<ruby>忘<rt>わす</rt></ruby>れた<ruby>夢<rt>ゆめ</rt></ruby>なんだろう。 | こ30ねんも まえの ことあ、 とーに わすれた ゆめなんだろー。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
(立去る気になり)親といい、子というものは、こんな風でいいものか。 | (<ruby>立去<rt>たちさ</rt></ruby>る<ruby>気<rt>き</rt></ruby>になり)<ruby>親<rt>おや</rt></ruby>といい、<ruby>子<rt>こ</rt></ruby>というものは、こんな<ruby>風<rt>ふう</rt></ruby>でいいものか。 | (たちさる きに なり) おやと いい、 こと いう ものわ、 こんな ふーで いい ものか。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
(百両を役に立たぬ物として扱い、懐中する) | (百<ruby>両<rt>りょう</rt></ruby>を<ruby>役<rt>やく</rt></ruby>に<ruby>立<rt>た</rt></ruby>たぬ<ruby>物<rt>もの</rt></ruby>として<ruby>扱<rt>あつか</rt></ruby>い、<ruby>懐中<rt>かいちゅう</rt></ruby>する) | (100りょーを やくに たたぬ ものと して あつかい、 かいちゅー する) ≪ | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
廊下に帳場与兵衛、板前善三郎、洗い方藤八、得物を隠し持って忍び寄る。 | <ruby>廊下<rt>ろうか</rt></ruby>に<ruby>帳場<rt>ちょうば</rt></ruby><ruby>与兵衛<rt>よへえ</rt></ruby>、<ruby>板前<rt>いたまえ</rt></ruby><ruby>善三郎<rt>ぜんざぶろう</rt></ruby>、<ruby>洗<rt>あら</rt></ruby>い<ruby>方<rt>かた</rt></ruby><ruby>藤八<rt>とうはち</rt></ruby>、<ruby>得物<rt>えもの</rt></ruby>を<ruby>隠<rt>かく</rt></ruby>し<ruby>持<rt>も</rt></ruby>って<ruby>忍<rt>しの</rt></ruby>び<ruby>寄<rt>よ</rt></ruby>る。 | ろーかに ちょーば よへえ、 いたまえ ぜんざぶろー、 あらいかた とーはち、 えものを かくしもって しのびよる ≪ | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
おはま それ程よく得心しているのなら、強って親子といわないで、早く帰っておくれでないか。 | おはまそれ<ruby>程<rt>ほど</rt></ruby>よく<ruby>得心<rt>とくしん</rt></ruby>しているのなら、<ruby>強<rt>た</rt></ruby>って<ruby>親子<rt>おやこ</rt></ruby>といわないで、<ruby>早<rt>はや</rt></ruby>く<ruby>帰<rt>かえ</rt></ruby>っておくれでないか。 | おはま それほど よく とくしん して いるのなら、 たって おやこと いわないで、 はやく かえって おくれで ないか。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
忠太郎 近い者ほど可愛くて、遠く放れりゃ疎くなるのが人情なのか。 | <ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby><ruby>近<rt>ちか</rt></ruby>い<ruby>者<rt>もの</rt></ruby>ほど<ruby>可愛<rt>かわい</rt></ruby>くて、<ruby>遠<rt>とお</rt></ruby>く<ruby>放<rt>はな</rt></ruby>れりゃ<ruby>疎<rt>うと</rt></ruby>くなるのが<ruby>人情<rt>にんじょう</rt></ruby>なのか。 | ちゅーたろー ちかい ものほど かわいくて、 とおく はなれりゃ うとく なるのが にんじょーなのか。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
おはま だれにしても女親は我が子を思わずにいるものかね。 | おはまだれにしても<ruby>女親<rt>おんなおや</rt></ruby>は<ruby>我<rt>わ</rt></ruby>が<ruby>子<rt>こ</rt></ruby>を<ruby>思<rt>おも</rt></ruby>わずにいるものかね。 | おはま だれに しても おんなおやわ わが こを おもわずに いる ものかね。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
だがねえ、我が子にもよりけりだ――忠太郎さん、お前さんも親を尋ねるのなら、何故堅気になっていないのだえ。 | だがねえ、<ruby>我<rt>わ</rt></ruby>が<ruby>子<rt>こ</rt></ruby>にもよりけりだ――<ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby>さん、お<ruby>前<rt>まえ</rt></ruby>さんも<ruby>親<rt>おや</rt></ruby>を<ruby>尋<rt>たず</rt></ruby>ねるのなら、<ruby>何故<rt>なぜ</rt></ruby><ruby>堅気<rt>かたぎ</rt></ruby>になっていないのだえ。 | だがねえ、 わが こにも よりけりだ -- ちゅーたろー さん、 おまえさんも おやを たずねるのなら、 なぜ かたぎに なって いないのだえ。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
忠太郎 おかみさん。 | <ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby>おかみさん。 | ちゅーたろー おかみさん。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
そのお指図は辞退すらあ。 | そのお<ruby>指図<rt>さしず</rt></ruby>は<ruby>辞退<rt>じたい</rt></ruby>すらあ。 | その おさしずわ じたい すらあ。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
親に放れた小僧ッ子がグレたを叱るは少し無理。 | <ruby>親<rt>おや</rt></ruby>に<ruby>放<rt>はなた</rt></ruby>れた<ruby>小僧<rt>こぞう</rt></ruby>ッ<ruby>子<rt>こ</rt></ruby>がグレたを<ruby>叱<rt>しか</rt></ruby>るは<ruby>少<rt>すこ</rt></ruby>し<ruby>無理<rt>むり</rt></ruby>。 | おやに はなたれた こぞーっこが ぐれたを しかるわ すこし むり。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
堅気になるのは遅蒔きでござんす。 | <ruby>堅気<rt>かたぎ</rt></ruby>になるのは<ruby>遅蒔<rt>おそま</rt></ruby>きでござんす。 | かたぎに なるのわ おそまきで ござんす。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
ヤクザ渡世の古沼へ足も脛まで突ッ込んで、洗ったってもう落ちッこねえ旅にん癖がついてしまって、何の今更堅気になれよう。 | ヤクザ<ruby>渡世<rt>とせい</rt></ruby>の<ruby>古沼<rt>ふるぬま</rt></ruby>へ<ruby>足<rt>あし</rt></ruby>も<ruby>脛<rt>すね</rt></ruby>まで<ruby>突<rt>つ</rt></ruby>ッ<ruby>込<rt>こ</rt></ruby>んで、<ruby>洗<rt>あら</rt></ruby>ったってもう<ruby>落<rt>お</rt></ruby>ちッこねえ<ruby>旅<rt>たび</rt></ruby>にん<ruby>癖<rt>ぐせ</rt></ruby>がついてしまって、<ruby>何<rt>なん</rt></ruby>の<ruby>今更<rt>いまさら</rt></ruby><ruby>堅気<rt>かたぎ</rt></ruby>になれよう。 | やくざ とせいの ふるぬまえ あしも すねまで つっこんで、 あらったって もー おちっこ ねえ たびにんぐせが ついて しまって、 なんの いまさら かたぎに なれよー。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
よし、堅気で辛抱したとて、喜んでくれる人でもあることか裸一貫たった一人じゃござんせんか。 | よし、<ruby>堅気<rt>かたぎ</rt></ruby>で<ruby>辛抱<rt>しんぼう</rt></ruby>したとて、<ruby>喜<rt>よろこ</rt></ruby>んでくれる<ruby>人<rt>ひと</rt></ruby>でもあることか<ruby>裸<rt>はだか</rt></ruby><ruby>一貫<rt>いっかん</rt></ruby>たった<ruby>一人<rt>ひとり</rt></ruby>じゃござんせんか。 | よし、 かたぎで しんぼー したとて、 よろこんで くれる ひとでも ある ことか はだか いっかん たった ひとりじゃ ござんせんか。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
儘よ。 | <ruby>儘<rt>まま</rt></ruby>よ。 | ままよ。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
身の置きどころは六十余州の、どこといって決まりのねえ空の下を飛んで歩く旅にんに逆戻り、股旅草鞋を直ぐにも穿こうか。 | <ruby>身<rt>み</rt></ruby>の<ruby>置<rt>お</rt></ruby>きどころは六十<ruby>余州<rt>よしゅう</rt></ruby>の、どこといって<ruby>決<rt>き</rt></ruby>まりのねえ<ruby>空<rt>そら</rt></ruby>の<ruby>下<rt>した</rt></ruby>を<ruby>飛<rt>と</rt></ruby>んで<ruby>歩<rt>ある</rt></ruby>く<ruby>旅<rt>たび</rt></ruby>にんに<ruby>逆戻<rt>ぎゃくもど</rt></ruby>り、<ruby>股旅<rt>またたび</rt></ruby><ruby>草鞋<rt>わらじ</rt></ruby>を<ruby>直<rt>す</rt></ruby>ぐにも<ruby>穿<rt>は</rt></ruby>こうか。 | みの おきどころわ 60よしゅーの、 どこと いって きまりの ねえ そらの したを とんで あるく たびにんに ぎゃくもどり、 またたび わらじを すぐにも はこーか。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
(廊下の者が物に触れる、聞きつけて)だれだッ。 | (<ruby>廊下<rt>ろうか</rt></ruby>の<ruby>者<rt>もの</rt></ruby>が<ruby>物<rt>もの</rt></ruby>に<ruby>触<rt>ふ</rt></ruby>れる、<ruby>聞<rt>き</rt></ruby>きつけて)だれだッ。 | (ろーかの ものが ものに ふれる、 ききつけて) だれだっ。 | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |
(障子を開ける) | (<ruby>障子<rt>しょうじ</rt></ruby>を<ruby>開<rt>あ</rt></ruby>ける) | (しょーじを あける) | 長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt |